ルカ10:1-24

 72人を派遣する

 

1.弟子への訓練

 だれが一番偉いか? など、情けない弟子たちですが、イエス様は伝道の現場で鍛えます。2人一組で36組に分かれますが、12弟子と同じような役割を持った弟子たちが派遣されます。しかも、一時的な臨時の働きです。12弟子はユダヤの12部族に伝道する役割を常に担いましたから、この72人は異国の民族のいる地域まで伝道するのが使命だったかもしれません。また、「収穫は多いが働き手が少ない」ということで、リクルーターとして派遣する意味もあったのでしょう。「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」とイエス様が命令していることから、多くの働き手が、イエス様にはお入り用だったことが伺がわれます。そして、決して安全ではない旅になります。多分、追剥の手にかかったら、持っている物はすべて奪われるでしょう。武力の優れた人々が集まったわけではないからです。そして、弟子としての訓練もこれからと言うわけです。

 イエス様は、弟子たちの制限を書けました。安全に帰ってくるためにです。

・財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 つまり、目を付けられないように

・平和の子のいる家に泊まりなさい。そして、そこで出されたものを飲み食いしなさい。家を渡り歩くな。

・迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

・迎え入れられなかったら、伝統に従って訣別を宣言しなさい。

 イエス様の欠けた行動制限は、受け入れてくれる所だけに行って、お世話になりながら病人をいやして、イエス様の短いメッセージを語ることでした。イエス様は、まずは、安全と成果を求めてこのように強いをしたのだと思われます。そして、迎え入れなかったところに対しては、ソドムを引き合いにして、裁きの時にソドムに起こったことよりも重大なことが起きると予告します。

ソドム:ソドムの罪(ホモ・セクシャル)については、『創世記』19章前半にあります。ソドムはゴモラと一緒に、罪ふかき町であったため、神様より滅ぼされました。その町はどこかと言いますと、現在の死海の水面下にあったとの説が有力です。


2.悔い改めない町

 コラジンは、イエス様の伝道拠点だったガリラヤ湖北岸の町カファルナウムのすぐ北にある隣町です。ベトサイダは、カファルナウムの東にある隣町です。つまり、イエス様は伝道拠点当たりの町について、「不幸だ」と言っているわけです。一方でティルス(ツロ)やシドンは、地中海を制したフェニキアの港町であります。フェニキアは、異教の地であります。イエス様が、異教の地でこれだけの奇跡を見たら、彼ら異邦人であっても悔い改めるだろうに、「ガリラヤの人々は悔い改めない」と嘆いたわけです。特に、イエス様の拠点カファルナウムは、「陰府にまで落とされる」とイエス様に言われました。 


『10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。』

イエス様の弟子たちを受け入れる人たちは、イエス様がそこに行っても受け入れるでしょう。逆に、イエス様の弟子たちを受け入れない人たちは、イエス様を受け入れません。それでイエス様は弟子を派遣するときに、迎えられる家に行きなさいとの指示を出していたのです。


3.天に弟子の名前が書き記される

 帰ってきた弟子たちは、大はしゃぎでした。イエス様にこのように報告します。

「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」

 

 しかし、この「敵のあらゆる力にもかつ権威」は、イエス様が弟子たちに与えたものです。イエス様は、弟子たちが暴走しないように、くぎを刺します。「喜んではいけない」

 何でもできると思って、誰でも服従させそうな勢いの弟子たち。イエス様は、『あなた方は「天に名前が書き記される」のだから、それにふさわしい行動をとりなさい。』 とたしなめます。与えられた権威を使って気分が良いことを喜ぶのではなく、天につながっていることの方が比べ物にならないくらい大事だからです。


 とは、言いながらイエス様も喜びました。弟子たちが、イエス様の命令を幼子のように受け入れ、そしてイエス様の権威をそのまま使うことが出来たからです。この弟子たちは、働く者として合格したと言ってもよいかもしれません。