ローマ15:14-21

福音を宣べ伝える


1.パウロの誇り

 この箇所からローマ書の結びの部分ですす。パウロはローマの信徒に向けて、信頼と尊敬の言葉を述べます。パウロはこれまで、強い口調で語って来ました。「ところどころかなり思い切って書きました。」とパウロ自身が語っているほどです。しかし、ある意味ローマの信徒たちを信頼していたので、正しく受け止めてくれることを期待したのだと思われます。そもそも、この手紙はローマの教会からの要請があって書かれたものではありません。所謂、おせっかいのようなものですが、パウロには、ローマの信徒たちと、かかわりたいとの強い願いがありました。

『1:11 あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。1:12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。』

 パウロは「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者」となったと言っております。これは召命ですから、神様から世界中の異邦人に福音を宣べ伝えるように神様から命令されているわけです。

「ローマに押しかけて行って、力になってあげたい。」この申し出は、上から目線のような感じがしますが、神様からの命令であるからこそ言えるのでしょう。パウロはその召命について、神様から恵みを頂いたと書いたくらいですから、ローマの教会の働きに加わりたいとの思いから、頼まれてもいないローマ教会の指導を申し入れたのでした。


 パウロは、スペインに行こうと表明(15:28)していますから、ローマには長期滞在するつもりは無いようです。そうするとローマでの活動は、かなり限定的になってしまいます。パウロはここで異邦人への福音伝道を「キリスト・イエスによって誇りに思っています」と語っていますので、ローマでもよい仕事ができると、確信していた事でしょう。パウロは、指導者の教えや、ユダヤ人と異邦人の関係によって教会が混乱した経験を持ちますから、この手紙の中でいろいろアドバイスを書いています。また、福音書のまだ無い時代、このローマの信徒への手紙が福音を伝える手段として有効でした。パウロは、ローマでパウロが延べ伝えている福音を分かち合いたかったと思われます。例えばコリントの教会では、いろいろな教師が来ては、教えていく中で、信徒がどの人の話に耳を傾け、ついていけばよいのか混乱しました。教えが人によって違うものですから、ローマの信徒への手紙のように教えをまとめたものが必要でした。そして手紙を送るだけではなく、パウロが直接教えて、指導したかったのでしょう。また、どの伝道の地に行っても、ユダヤ人と異邦人の信徒の間がうまくいっていなかったこともあり、そのようなアドバイスもしたかったのだと思われます。


2.喜びをもって

 パウロは、キリストの僕として働きました。その結果、多くの異邦人を信仰に導きました。パウロは祭司として異邦人たちを供え物とする(神様に「相応」しいとされる)ことが出来ました。しかし、パウロは、この働きはキリストが働かれたこととして、その事実を証します。しかし、パウロ自身の働きについては何も話さないと言っております。

 全てはキリストの業だからです。キリストは、パウロを使い、しるしや奇跡を起こしました。パウロは聖霊の力によって働かされたのです。パウロは、喜んでキリストに仕えたのであって、キリストの業と共にあったことだけを証するのが僕として相応しいと考えたのでしょう。

 この伝道経験から、パウロは新たな計画を持ちました。


『こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。』


 新しい伝道の地を探していたのでしょう。イリリコン州はギリシャのアドリア海沿いの地方です。イタリアは対岸になりますし、イリリコン州はイタリアと隣接しています。使徒言行録には、この地の伝道については書かれていませんから、超短期間の伝道だったと思われます。次はローマそしてスペインを目指すことをパウロは決めています。ローマには以前から行こうとしていました。だから、イリリコン州からイタリアに入ることも考えていたと思われます。


 なぜパウロは、ローマを目指したのでしょうか? もちろんローマ帝国の中心地ですから、ローマの教会は、ローマ帝国全体に伝道するための中心的な教会になりうるからです。ただ、パウロは全く福音が届いていないところを探して伝道をしたいと考えていましたから、世界中にできてくる教会の一つとしてローマの教会を励ましたかったのだと言えます。 

 そういうわけで、異邦人の使徒として召された者として、パウロはローマの教会のためにも心を砕いていたのです。そのローマの教会はすでに建てられていましたので、パウロはローマの教会のために骨折りを申し出ていますが、ローマの代表になるとかは考えていないようです。パウロは、異邦人を主体にして出来た教会を励ますために、そして福音を教えるために、一時ローマに寄ることを願っていたのです。そして次の計画があります。さらに西の果てまで伝道することです。一気にスペインまで行こうとしたのか、拠点を回りながら伝道の地をスペインまで伸ばそうとしていたのかはわかりませんが、いずれにせよ、フィリピの教会のようにパウロを経済的に支援してくれる教会が、そう遠くないところに無ければ、伝道に専念できません。それから、人です。パウロの伝道を手伝う人も出してもらう。そういうベースキャンプのような役割をローマの教会が担ってくれることを祈っていたのでしょう。キリストの道具として仕えている限り、その道は開かれるのです。

 キリストにより頼み、キリストとの交わりの中で、キリストに強められて、その道具として用いていただくことを、パウロは喜びとしました。神様が私たちに与えてくださっている召し。神様は神の国のために働くようにと私たちを導いておられます。私たちはその自分に与えられている働きを、改めて「恵み」として受け止め直したいものです。そして私を用いてくださるキリストに信頼し、キリストの力によって、神の国の完成のために用いていただける恵みに、喜んでキリストに仕えたい そのことを祈ってまいりましょう。