使徒10:1ー48

神は人をわけへだてなさらない

・カイザリアは、ユダヤ属州の首都

すなわちローマ総督のいる場所

・コルネリウスは、イタリア(原文はイタリカ)隊の100人隊長。第二軍団のイタリア人部隊。

・ケントゥリオ(ラテン語: centurio)とは、古代ローマ軍の基幹戦闘単位であるケントゥリア(百人隊)の指揮官のことで
日本語では一般的に「百人隊長」「百卒長」と訳されます

兵の指揮統制をはじめ非戦闘時における隊の管理など、軍の中核を担う極めて重要な役割を果たし「ローマ軍団の背骨」と称えられました。このため、ケントゥリオは市民社会からも大きな敬意をもって遇される名誉ある地位でありました

(googleの画像)

フィリポ(福音伝道者)、サマリアで活躍していました。異邦人の地方なのですが、伝道が行われました。で、応援の為なのでしょう、ペトロとヨハネがサマリアを訪問するくらいですから、善い働きができていたに違いありません。その様子は聖書かれています。

使徒『8:14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。8:17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。』

フィリポは、ステファノと同じ執事の一人でした。エルサレムを追われ、サマリアで魔術師シモンに洗礼を授けるなど、伝道を開始していました。

.ヤッファ

 サマリアはかつて北王国があった場所あたりを指し、ユダヤ教から見ると異教の国、そして交通の要所です。ヤッファ(地図では、ヨッパ)は、特に古くからの港町です。(4000年前から存在)ここから船に乗って、ヨーロッパやエジプトに向かうことが出来ました。ローマ軍が駐留してるカイザリアとは20マイル(32km)ほどの距離です。ペトロはヤッファの皮なめし職人シモンの家(現在も実在)に泊まっていました。そこから物語が動きます。

.ペトロの見た まぼろし

 ペトロは、ヤッファで幻を見ます。食べてはいけないと教えられている食べ物を食べるよう言われ、そのとき理解できませんでした。しかも3回も見せられました。しかし、そこにはすでに神様の働きがあったのです。すでに、ヤッファで信仰を持ったイタリア人の百人隊長を迎える準備が整えられていたと言えます。この物語は、AD49年ごろです。当時のローマ総督はクマノスと言う人で、この時の約1年前のAD48年にカイザリアに赴任。そのとき、大変な事件がエルサレムで起こりました。ローマの兵が、ユダヤの経典であるトーラー(律法)を侮辱したのです。すると、ローマ兵と、ユダヤの民衆の間でトラブルがおこって、衝突を生み、ユダヤの民3万人が死んだのです。また、その前にも。3代目のローマ皇帝(ガイオス帝)が「自分を神として拝め」との命令を出しました。そのためローマの役人は、皇帝の像をエルサレムの神殿に運ぼうとしたり、祭司の装束を管理しようとしたり、何かと問題が起こっていました。そんなふうに、20年後に起こる(AD67年の)ローマとユダヤの全面戦争に向けて、穏やかでない状態でした。そんな時に、ペテロがカイザリアに行くということは、敵であるローマ陣営の中心に行くことです。また、外国人の、しかもその敵の支配力そのものである百人隊長のところにですから、かなり危険です。しかし、ペテロは神様の言葉をたよりに、わからないまま出かけて行きます。神様からの命令を受けてすぐに出かけたのです。神様の計画、神様の意思だ との確信をあたえられたのだと思います。そのとき、ペトロは百人隊長に対して「ユダヤ人になりなさい」とか、ユダヤ人の習慣に合わせなさいとは言いませんでした。百人隊長をそのままの姿、イタリア人の軍人のままで受け入れようとしたのです。

 

.百人隊長コルネリオ

ペテロと同じように、百人隊長のコルネリオも動かされました。当時のローマ総督であるクマノスは、先の事件で、騒ぎを収めるためにやむなく、自分の軍隊であるローマ兵を処刑しなければなりませんでした。そんな中で、ローマ兵がユダヤ人と個人的に連絡を取り合うことには、命の危険が伴います。ましてや、ユダヤ人を取り締まる最前線の百人隊長です。ユダヤ人からは策略に見え、ローマから、裏切りに見えます。ですから、ユダヤ人とローマ兵が通じているものならば、ローマ兵はかなり危険な立場になってしまいます。

どちらにしても危ない中で、百人隊長コルネリオは、神様の導きに従ったのでした。そうやって、神様に導かれ、使徒ペテロと百人隊長コルネリオは出会いました。そして、使徒ペテロは、百人隊長コルネリオの信仰を受け止めるのです。そして、それは、もしかして最後の会える機会だったかもしれないのです。当時のローマは、ユダヤの周辺で小競り合いをし、いつ全面戦争になるかわからないような心配がありました。だからこそ、神様は急いでこの二人を引き合わせたものと思います。