使徒27:39-28:1-10

難破

 1.難破する

 砂浜のある入江に船を乗り入れようとします。岩場では、船が波であおられて岩にぶつかりますが、なだらかな傾斜で砂がある場所であれば、静かに座礁してくれることを期待したわけです。まず、その前に、錨を引きずっていたり、舵が固定されたりしていたのでは操船ができませんので、錨を捨てて舵をとります。帆は、最小限にしていき足を殺しながら、そろりそろりと船を進めるわけです。ところが、砂浜につく前に、座礁してしまいました。船首がめり込んで動かなくなったので、これ以上進むことができないだけではありません。当時の船は、縦揺れ方向に揺れることで、波から受ける荷重をかわしてしていましたから、縦揺れが止まると、波がもろに船尾にあたってしまいます。こうして、船はもともと乗り捨てるつもりで錨を投げていましたが、とうとうこの場で乗り捨てなければならなくなりました。

結果として、パウロが予告していた「全員が生きながらえる」ことが成就したのですが、この難破によって、囚人たちはローマ兵によって殺されようとしていました。囚人を護送するローマ兵は、囚人を逃がすと、死罪になりかねないからです。しかし、パウロはローマ皇帝の裁判を受けに行かなければなりません。神様は、そのために百人隊長を動かします。その結果、この一行は、すべて守られ無事に上陸したのです。

 

 

2.マルタ島で

 マルタ島は、イタリアの本土(長靴の形)の南にあるシチリア島から少し南の沖の方にある小島です。

ここで島の人々に親切にしてもらいました。マルタ島の人々は海で生活している人々ですから、海難事故があれば、いつも親切に協力しているのでしょう。

 島の人々が火を焚いて、パウロたちをもてなしているときに、蝮が出てきてパウロの手に絡まってきました。すぐ払い落としたとはいっても、蝮の毒は人をも殺すことがありますので、島の人々はパウロがしばらくしたら倒れるのではないか?と見ていました。記事には、パウロが蝮にかまれたとは書かれていませんが、島の人々が様子を見ていたということは、やはりパウロは蝮にかまれたのだろうと思われます。そして、島の人々は、パウロが蝮の毒にやられてしまわないのを見て「この人は神様だ」と言いました。

 人の考えというのは、その結果が悪いならば「悪党」だからと理由付けしてさげすみ、逆に結果が良いと「神」としてあがめるというようなところがありますが、蝮にかまれて何事も起こらなかったことは、島の人々の常識からは大きく外れています。ここでも、神様がパウロをローマに導くために、働きかけたのだと思われます。

 

 島の長官プブリウスは、パウロの一行(276人ローマ兵、荷主、船員、乗客、囚人)を3日間ももてなします。パウロは、このときに長官の父親の病をいやします。わざわざ、長官の父の家を訪問していますので、長官から頼まれたというよりも、パウロはその病の話を聞いて、出かけたのだと思われます。祈って、そして悪いところに手を置いて、癒しました。(手を置くとは、一般的には「処置なしの状態」のことを指しますが、聖書的には、按手する、任命する、癒す、祝福するときに行う所作です。)

 パウロが長官の父親をいやしたことは、島中に知れわたります。病人がやってきては癒してもらいました。ここに記事はありませんが、マルタ島の人々はイエス様を信じるようになったのだと思われます。長官をはじめとして、パウロの癒しの恩恵を受けた人は、ローマの囚人でしかないパウロに対して、さまざまな便宜を図りました。「パウロがマルタ島で伝道をした」といった記事が使徒言行録に無いのも、パウロがこれから受けるローマ皇帝の裁判に悪い影響がでないように、島の人々が口を閉ざしていたのだと思われます。パウロは、獄中でも伝道をし、国の支配者に会っていても伝道をしましたから、マルタ島で伝道をしなかったはずはありません。