Ⅰコリント2:1-5 

 知恵によってではなく

2021年 2月 7日 主日礼拝

『知恵によってではなく』

コリントの信徒への手紙一 2:1-5 

 2月に入りました。コロナの影響がありながらも、教会の礼拝が維持できていることに感謝いたします。また、東京の感染者数もまだまだ多く、重症者数もまだピークに達していません。それでも、新たに感染が確認された人が減っていく傾向となり、少し落ち着いたかもしれないので、良かったと思います。キリスト教会でも、緊急事態宣言を受けて、それぞれの事情にあわせたコロナ対策を加えています。教会によっては、礼拝を見合わせたり、一日に何回かに分けて礼拝を持ったり、ZOOMやyoutubeを使ってネットで配信したりしています。それぞれの、教会の特性には、礼拝に集まる人の年齢層や職業、そして教会の設備と集まる人数などがあります。当教会では週報にあるように、讃美歌は2番まで、それから食べ物を配らないよう、リスク管理を強めています。マスクを着けているとは言え、讃美歌を歌う事や、食べ物をみんなで食べる事には、リスクが高めですので、リスクの低減のためにご協力をお願いいたします。多少の不便もあるかと思いますが、可能な限り普通の礼拝を維持してまいりましょう。

 

今週の聖書の箇所は、エフェソの街で書かれました。パウロが、第三次伝道旅行でアンテオケからエフェソを通ってマケドニア方面に向かったときに、書いたようです。パウロはコリントの教会内部に争いがあるという事を、仲間からの手紙で知りました。当時のローマでは、駅伝による郵便システムはありましたが、一般人が利用できるような通信システムはありませんでした。(日本では、新年の箱根駅伝など、駅伝競技が盛んですが、その起源は早馬や、飛脚による、郵便システムです。世界中に同様なシステムがありますが、古代ローマでは初代皇帝オクタビアヌスの時に軍事用道路と一緒に整備されたようです。しかし、一般人が安価に使える郵便システムではありません。)


 そこで、一般には旅行者に手紙を託していたのです。ですから、あて先を文字通り尋ね歩くわけです。届くまで結構な時間がかかります。ましてや、パウロはその間に伝道旅行で移動しているわけですから、手紙が無事にパウロの手に渡るのは相当に後だとわかっていながら、手紙を出したのだと思われます。つまり、その教会内の分裂は長期化してかつ深刻だったものと思われます。パウロがコリントにいた時から、その火種はありました。使徒言行録(18:5ー6)にも出てきますが、一部のユダヤ人たちがパウロの言葉に反発していたのです。パウロは、そのことを思い浮かべながら、コリントの教会に手紙を書き送ったのです。

 

 今日の聖書の箇所で、パウロは、そのコリントで伝道した時のことを振り返っています。実は、パウロは第二次伝道旅行でコリントについた時、精神的にも、肉体的にも追い詰められていました。

 パウロの第二次伝道旅行では、伝道は順調には進んでいませんでした。

パウロは、フィリピで牢に入れられ(使徒16:16-23)、フィリピに居られなくなると、マケドニアのテサロニケで伝道しました。テサロニケでは、同郷のユダヤ人の妬みを買い追われて、べレアに避難。それでも追手がやってきたので、べレアからアテネに向かいました。アテネでは、ありったけの力と知恵をもってイエス様のことを述べ伝えましたが、うまくいきませんでした。アテネでは、「新しい神」その一つ としてパウロの話に興味を持った人がいたものの、議論をした相手には受けいれられなかったのです。そうして、向かった先がコリントです。そのコリントでも、伝道開始当初は、相当に苦労していたようです。使徒言行録にその様子があります。

 

使徒『18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。

18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。

18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。』

 

 アテネを去ったパウロは、コリントでテント張りの仕事をしながら、ユダヤ人やギリシア人に伝道し始めました。コリントの教会にはユダヤ人も異邦人であるギリシア人もいました。ようやく、パウロの福音を延べ伝える言葉が、ユダヤ人だけではなく異邦人まで受け入れられてきたのです。しかしながら、パウロは一部のユダヤ教徒との対立で苦労していました。使徒言行録にあるように、パウロはユダヤ人の伝道よりむしろ、異邦人伝道に進むことを決意したほどでした。

以前いたテサロニケでも、ユダヤ人の反発をもらいました。そして、アテネでは持てる知識をすべて使い尽くしても、思ったようには伝道できませんでした。一部の人にしかパウロの言葉は響かなかったのです。多くのユダヤ人もギリシア人もパウロの教えを受け入れなかったのです。それで、身も心も力が奪われていました。パウロはコリントについたとき「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」だったのです。このように、身も心もボロボロになってからコリントに来て伝道したのです。ところがパウロが、身も心もボロボロであったがゆえに、かえって実を結びだしました。それはもはや、パウロの力によるものではありませんでした。パウロは語る言葉をパウロの知恵によらず、イエス様に委ねた結果、キリスト教が広がっていったのです。

 

このように第二次伝道旅行での、使徒パウロのコリントに来るまでの伝道は、たいへん厳しいものでした。フィリピでは投獄されました。そこでマケドニア地方に渡りますが、テサロニケとベレアからは逃亡を余儀なくされ、やっとたどり着いたアテネでは哲学者たちとの「かみ合わない議論」で、知恵をつくして疲れ切ってしまいました。パウロは、人間の知恵や知識の限界を感じていたのです。アテネからコリントへと向かう途中、パウロは逃げるような気持だったのでしょう。フィリピでも、テサロニケでも人々に受け入れられないばかりか、追われる身となったパウロは、アテネに向かいます。パウロは、この文化の中心地であるアテネで、哲学者たちに議論を挑みました。パウロは持てる力全てを使って議論しましたが、結果的に相手にされませんでした。満足な結果が得られなかったパウロは、コリントに向かう途中で、道が開けるのだろうか? と 不安だったのでしょう。

しかし、パウロはその時すでに変えられていたのです。

そこには、力強く語ることも、知恵をつくして語ることも無い、パウロの姿がありました。パウロ自身がこう言っています。

Ⅰコリ『2:1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。』

つまり、「伝えるべきは十字架につけられたキリスト」であり、それ以上に語るべきことは無いと考えた結果、パウロは『2:2~十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた~』のです。

 

身も心も打ち砕かれていたパウロは、こうして一番大切なことに集中して伝道することができたのです。パウロは、キリストの十字架と罪の赦しだけを話しました。パウロは自らの優れた知恵や優れた言葉を使わずに、イエス様にすべてを委ねたのです。神様は、この様に打ち砕かれたパウロを用いて、多くの者を信じる者へと導かれました。

 

 コリントでのパウロの働きには、言葉を巧みに操ることや、哲学者たちと議論する必要はありませんでした。その純粋なメッセージは、信じる者を与えました。信じた者は、パウロの伝えた「十字架につけられたキリスト」の中に神様を見つけました。このように、コリントの信徒たちの信仰は、人の知恵や才能に基づいて引き出されたものではなかったのです。コリントの人々が信仰に入った背後には、神様がおられたのです。パウロは、イエス様によって導かれた結果、

「十字架につけられたキリスト」というメッセージを伝えました。それは、理性だけでは、受け止めることが難しい教えです。そして、この教えこそが、不思議な力を持っていたのです。そこでは、これまでのパウロの努力以上に、そしてどんな人の知恵や才能以上に伝える力が働いたのです。神様は、パウロを用いてこのメッセージを多くの人々に伝えたのです。

 

 私たちの教会は、コリントに向かうまでのパウロの様に、「弱っていて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」な時なのかもしれません。小さな群れでありますし、特に、この1年はコロナの影響で、礼拝すら守れない時もありました。不安の材料は、沢山あります。しかし、コリントで伝道を始めたパウロの様に、純粋に「十字架につけられたキリスト」を語り続ける教会を目指すならば、道が開かれる との希望を持つことができます。宣教も、知恵にあふれた言葉であることよりも、イエス様に与えられている“霊”と力によって、導かれることを目指していきたいと思います。そうすれば、私たち人間の知恵では得られない結果を、きっと イエス様は導いて下さるものと信じています。

 もちろん、すべてをイエス様に委ねて投げ出してしまうのではなく、私たちの責任で できることはしなければなりません。

私たちの教会では、今日の礼拝の後の執事会で、来年度の活動 問題点と対策について話し合いをします。そして、来週は皆さんにその内容を説明して、ご理解と協力を頂くようお願いします。お願いの背後にあるのはやはり、「イエス様に託す」という事です。まだ、コロナ禍が続きますので、伝道のためのプログラムを計画することは困難な状況のなか、これらの働きを「イエス様に委ねる」。そうありたいと考えます。良いアイデアがあるわけではありません。また、アイデアがあっても、それを実行することは簡単ではありません。ですから、私たちは、まずできる事を大事にし、そのことを誠実にしていきたいのです。そしてイエス様のことを近隣に伝えていく。そのことを愚直にやり続けることで、必ずこの教会に新しく導かれる人々が出てくることを信じていきましょう。パウロのように、『人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるため』にイエス様と共に働き、イエス様に委ねる教会でありたいと願っています。

 

そこで、与えられた来年度 2021年度のみ言葉は、次の通りです。

 

ローマの信徒への手紙  8:28『神を愛する者たち、つまり、

御計画に従って召された者たちには、万事 が益となるように共に働く

ということを、わたしたちは知っています。』 

 

イエス様のことを近隣に伝えていくことを愚直に続けましょう。必ずこの教会に導かれる人々が出てきます。パウロがしたように、『人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるため』、その働きをイエス様に託して共に働いてまいりましょう。