詩編147:1-20

の支配  

  詩編は146編からハレルヤ詩編集となっています。147編は明らかにダビデの歌とは違って、バビロン捕囚以後に歌われたと言えます。また、第二イザヤの記事『40:26 目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方/それぞれの名を呼ばれる方の/力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。』への答えのような詩でもあります。ですから、比較的遅い時期であるエルサレム帰還以後に作られたと言われています。そうしますと、これから起こる事の予告を歌ったのではなくて、あきらかに、起こってしまったことを題材に、神様への感謝を表したものです。

1.神のはたらき(1-6)

神様を賛美するのですが、「ハレルヤ」とは、ヘブライ語で「ヤー(=イスラエルの神様の名前)を賛美せよ」の意味です。(ヤ―=ヤハウェ:読み方の違いだけです。)また、「ハレルヤ詩編」と呼ばれる詩は、過越祭のときに歌われたといわれます(マタ 26:30)。

エルサレムの復興事業が神様の助けによって進んでいる事を賛美します。この復興は、町の再建築が進んだこともあれば、人々が戻ってきたこと、そしてバビロン捕囚で負った心の傷をも癒されたことを含みます。これは、成就したことへの賛美だと言えます

また、神様の力は自然界を支配するだけではなく、人間を支配し、公平な裁きをしてくれる ことを喜んで賛美しています。しかし、この賛美はエルサレム復興によって完全にもたらされたのでしょうか? まだイエス様が来られていない時代ですから、「願い」と言っても良いのかもしれません。

『主は貧しい人々を励まし/逆らう者を地に倒される。』 

(主とは、ヘブライ語ではヤハウェと記されています)

2.神の支配(7-11)

全世界は神様が支配しています。この賛美は私たちがその神様に支配される事を喜んでいることを表します。そして、その感謝をもって神様に捧げ物をするのです。

また、神様は雲、天、山々の草までも支配しています。獣や烏さえも支配されているのです。しかし、神様はその支配している「もの」の美しさや、優秀さ等を望まれません。神様が望まれるのは、「神様を愛する人」であり、「隣人を自分の様に愛する人」です。この二つは律法を構成する最も重要な掟につながります。

3.イスラエルを顧みる神(12-20)

神様は戦いに備えて、エルサレムの街を堅固にし、そしてエルサレムの住民を増やされます。神様は、イスラエルの国境を守って、平和を与えて下さり、敵に奪われることなく豊かな麦を収穫させてくださいます。

神様が、自然に命じると速やかに雪が降り、霜もおります。また、氷塊を降らせ寒くされますが、神様がお言葉を下されば、暖かい風を吹かせて氷塊を溶かされます。

この自然界に働きかけられる神様は、み言葉をもってヤコブに働きかけます。ヤコブの子孫であるイスラエル民族は、そのみ言葉によって掟と裁きが与えられています。掟を持ってイスラエルを裁かれます。イスラエルの民は、神様によって選ばれたので、どの国にもイスラエルの様に取り計らわれなかったのです。イスラエルだけが神様の裁きを知っているのです。 ヤーを賛美せよ!