コリントの信徒への手紙一16:1-12

エルサレムのための募金

聖書研究


 パウロは以前、エルサレム教会に献金をしたことがあります。(使徒言行録11:27-30)第一次伝道旅行の前に、バルナバとパウロがアンティオキヤ教会の食料を分けた記事であります。この時は、ユダヤ戦争中に飢饉があって、本当に食料が不足していましたから、歓迎されたようです。また、エルサレム教会の使徒たちが困窮していて、支援を約束しているような手紙もありますので、直接献げたという記事は、2か所だけですが、実際は日常的に周辺国からの献金があって、エルサレムの教会が支えられていたと考えられます。

1.献金の集め方

 パウロは、使徒たちの生活のための献金について話し始めます。この使徒たちとは、エルサレムにいる使徒のことです。エルサレムにある教会は、経済的に困窮していました。(困窮している人々を多く受け入れていたことと、有力者層「エルサレムでは、大司祭、議員、領主」への伝道について、その限界が考えられます。)そこで、パウロは、小アジアとヨーロッパにあるパウロの関係した諸教会から献金を集めて、それをエルサレムの教会に持っていこうとしていました。パウロは、ユダヤ人が主体のエルサレム教会に、異邦人からの愛を示したかったのです。ユダヤ人が主体の教会と、異邦人の教会では、宗教的な背景の違いによって、完全に同じ教会と言える状態ではありませんでした。それではキリストのからだがいくつにも分かれたように見えてしまいます。パウロは、具体的なキリストの愛を示すために、異邦人の教会からの献金を募っていました。ところで、パウロは15章で、死者の復活について話していました。キリストの復活により、私たちすべても復活します。キリストが来られるとき、私たちは一瞬にして変えられて、朽ちない栄光ある天からのからだを身につけることになります。パウロは、この主のわざの一部として、聖徒たちのための献金があることを示しています。

 私たちはとかく、死者の復活とか、キリストの再臨とかいう話をするときに、それらの教えが自分たちの日々の生活に関わりを感じずにいます。それは、キリスト教の教理であるけれども、毎日接している家族との関係、職場での関係、そして教会における具体的な運営などには関係ないのです。ところが、パウロにとって、使徒のために献金することは、主のわざそのものであります。主のわざを行なうのであれば、その行いには教えと結びついているのです。私たちの生活に、主の業がそれだけ浸透していることであります。 パウロは、自分がコリントに行ったときに、慌てて献金を集めるようなことがないように、と戒めています。週の初めの日に、収入に応じて、手もとにたくわえておきなさい、と命じています。良く祈り、自分の収入と対話して、主におささげするのが、神様が喜ばれる献金です。コリント人への第二の手紙で、パウロは、『9:7 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。』と言いました。パウロがそちらの教会に行ったとき、諸教会の献金と手紙をエルサレムに届けさせたい旨を伝えました。こうしてパウロは、自分がコリントに行ったときに、しなければいけないことを示しました。

2.パウロ 

 パウロが今、エフェソにいることを思い出してください。エフェソからマケドニヤを通り、それからギリシヤの方面に向かい、コリントの町に行きます。パウロが、マケドニヤを通るのをなぜ確認しているのかと言いますと、そこには彼の奉仕によって建てられた教会があるからです。パウロは、第一回伝道旅行でビシデア州のアンテオケの教会を拠点として、宣教を行ないました。その次の伝道旅行では再びアンテオケに入り、それからまた小アジヤを目指して宣教をしていましたが、ある時、御霊がパウロをアジヤの地域を巡るのを禁じられました。そのようなことが二回あって、ある夜、マケドニヤ人が幻の中でパウロに現われて、「マケドニヤに渡って、助けてください。」と懇願しました。それから、マケドニヤへの旅が始まったのです。(第二回伝道旅行)パウロは、フィリピ、テサロニケの町へと赴き、そこに教会が建ち上がりました。パウロは、その諸教会を訪問しました。

 パウロがこれまで述べてきた、マケドニヤを通って、コリントにおいてしばらく滞在するという旅程は、あくまでも「主がお許しになるなら」という条件つきの計画でした。主がいつでも介入して、いつでも変更していたのです。私たちは、自分がしたいこと、計画していることが阻まれたように見えるときに、がっかりするのではなく、むしろみこころのままに、と祈る姿勢が必要なのです。いや、朝ごとに、「主のみこころのままに行なってください。」という祈りをもって生活を始めるべきです。

3.テモテとアポロ

 そしてパウロは、自分だけではなく、他の奉仕者であるテモテとアポロの旅程についても言及します。 パウロは、自分の手紙をテモテに持たせようとしているようです。そして、テモテがコリントに行ったとき、「心配なく過ごせるように」とお願いし、また、「だれも彼を軽んじてはいけません。」と命じています。コリントの教会は、分裂・分派がある教会です。自分たちが賢いとうぬぼれている高慢な人たちがいる教会です。テモテは、若く、そして、おとなしい性格の人です。そこで、テモテを恐がらせたり、プレッシャーをかけたりする人たちがいるのではないか、とパウロは察して、言っています。

 次にアポロの旅程です。 アポロは今、パウロとともにエフェソにいます。アポロとパウロは、それぞれ独立して伝道をしていましたが、それでもエフェソでは、ともに働いていました。 ここで興味深いのは、パウロがアポロに強く勧めたのに、アポロが全然その気になっていない、ところです。このように、パウロは、自分は大きなキリストのからだの中に属しており、その枠組みの中で、権威の下で動いている、という認識を持っていたのです。自分がキリストから啓示が与えられたから、キリストがかしらとなっているのだから、示されるままに動く、のではありません。パウロは、キリストのからだの中の一部として、権威の下に自分を置いていたのです。