コヘレトの言葉12:9-12

神を畏れ、その戒めを守れ 

1.多くの格言

 コヘレトの多くの格言とはコヘレトの言葉に編集した格言を指すのでしょう。吟味し、研究し、編集したとあります。

吟味するとは、念入りに調べて選ぶこと。そして、研究するとは、事実や真理などを明らかにすること。また、編集するとは、一定の方針に従って資料を整理し、書物などにまとめること。

このことから、格言の収集は念入りに調べて、有用と思われるものを選んだ。そして、選ばれた格言が真実であるかどうかを知識と経験から明らかにしてみた。そしてコヘレトの言葉として一冊にまとめたのです。

これらの労力をかけた理由は、望ましくない言葉や真実でないことが混ざらないようにして、後世の人が読むときに、いたずらに混乱を引き起こさないためです。もちろん、そうすることで、有用な書物として残り、そして活用されることを望んだのです。

2.突き棒や釘

 突き棒とは、先端にとがった金具が付いた長い棒で,動物を突いて動かすのに使われました。聖書は突き棒を賢い人の言葉に,すなわち聞いた人を行動へと促す知恵のある助言に例えています。(使徒 26:14 とげのついた棒)

突き棒にしても、釘にしても先端はとがった金属(鉄)です。賢者の言葉は、その先端の方さや鋭さから、人々に影響力を持ちました。ただ、これを編集したのではなく、一人の牧者に由来するように編集したのです。牧者とは、羊の群れを預かる羊飼いのことですが、伝統的には、王様を指します。王様が持つ杖や笏は、羊飼いの杖から出た物なのです。ここでいう牧者は、王の王である、神様にほかなりません。神様からの目線で真実を求め、コヘレトはその格言を編集したのです。

3.きりがない

 コヘレトの結びの言葉に当たって、「書物はいくら記してもきりがない。」と、コヘレト自身が書ききれていないことをわざわざ伝えています。しかし、コヘレトは、ここで筆をおいたわけです。たった12章の書物を書くだけで、学びすぎであり、人にとっては過酷過ぎだったのでしょう。

ここで、長々と書き残すことに意味を感じなくなったと思われます。いきなりシンプルな言葉で、すべてをまとめようと、試みるわけです。

 4.結論

12:13 すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。』

コヘレトの長年の経験と知恵によって、そして吟味し、研究した末、そして神の言葉に耳を傾けた結果、得られたのは、「神を畏れ、その戒めを守れ。」の一言でした。これこそが全てとまで言い切ります。

私が、なぜ存在するか?それは神がこの世を創造されたから。私が、なぜ神を信じるか?それは、神様によって私が受け入れられているから。すべては、神様によって造られ、そして育てられました。それは、神様が私たちを愛しているからです。私たちができる唯一のことは、「神を畏れ、その戒めを守る」ことだけ。ほかに私たちにはできることが何もないのです。

5.裁きの座

コヘレトは、神様に期待しています。この世の中には矛盾があります。例えば、悪が善を押し出して、むしろ良い報いを受けている事。これは、何時かは神様によって、裁かれるでしょう。コヘレトは、すべての人が神様の前で、裁かれるのだと言います。それは、だれにも見つからずにやったことも含めてです。神様は、すべての善と悪を裁きの座につけます。そして、その善と悪とは、「神を畏れ、その戒めを守れ。」を基準に判定されます。

善行をしたから、早くから信仰を持ったから、などということを神様は優先されません。ですから、「あなたは悪いことをしたから」とか「年を取ってから信仰をもったから」と言うので裁きの時に不利になるわけではありません。むしろ、そのような外形的なことではなく、心の中にある信仰が問われているのです。若い時に創造主を知り、訓練を受け、年老いても信仰を奪われず、維持できていることは、望ましいことではありますが、決定的ではありません。そのさばきの時、「神様を畏れ」どのように「行動する」かが、問われているのです。神様を畏れるとは、そのような事なのです。