マタイ3:1-17
イエス様のバプテスマ
イエス様のバプテスマの場面です。バプテスマとは「洗礼」のことを指します。私たちの教会は、バプテスト教会と名乗っていますが、このバプテスマを全身を水に沈めるやり方(浸礼と呼びます)を尊重する群れです。
バプテスマのヨハネは、「悔い改めのバプテスマ」を行っていました。イエス様は、そのバプテスマのヨハネからバプテスマを受けたのです。
この聖書の箇所は、出てくる言葉を解説する必要があります。
1.荒れ野で叫ぶ声
「荒野で叫ぶ声」とは、バプテスマのヨハネを指します。
マタイでは、『3:3 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」』
となっています。微妙に訳が違いますが、元はイザヤ書です。
イザヤ『40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。』
2.ヨハネのバプテスマ
ヨハネは、道をまっすぐにする人。そこを通って完成させるのはイエス様です。
したがって、ヨハネによるバプテスマは、完成形ではありません。その違いは簡単に言うと次の通りです。
・ヨハネ:水による悔い改めのバプテスマ 水にいったん沈め、罪を洗い落とす
当時バプテスマは、一回とは限らなかったようです。
・イエス:聖霊によるバプテスマ 信仰によって、聖霊が働かれる
3.ファリサイ派、サドカイ派
この時代の主な宗教的な派閥が、ファリサイ派とサドカイ派です。他にもありますので、列記してみます。
・ファリサイ派
主流派であって、大衆に支持されている教師階級。聖書にあるようにまでは、お堅いしゃくし定規な人々
と言うわけではないと思われます。
・サドカイ派
守旧派で、昔からの権威を継続している司祭階級たち。権威的ではありますが、実権は大衆に支持
されたファリサイ派にあるために、ほぼファリサイ派のいうことを聞かざるを得ない人々だそうです。
・エッセネ派
バプテスマのヨハネがこの一派と言われ、クムラン遺跡についてもエッセネ派に近いもの
と想定されています。(クムラン文書と、ヨセフスの書いたエッセネ派の記事がよく一致)
聖性を重んじ、共同生活をし社会に奉仕。
イエス様もバプテスマのヨハネもエッセネ派に近いと思われます。
エルサレムの南部にエッセネ門(シオン門)があり、エッセネ派は、そこしか使わないそうです。最後の晩餐
もそのエッセネ門の近くで行われました。
3.箕(み)と殻
箕とは、日本では底の浅い竹籠のようなもので、穀物を振り上げて、実の入っていない殻を風の力で飛ばす道具
です。脱穀のあとに、籾摺りをして出てきた実と殻を、より分けるのが箕を使う目的です。
殻は、火にくべてしまうので、この作業は「選別と裁き」を象徴しています。