エズラ記8:15-30

神殿礼拝の整え


キカル:34.2kg (78500円×34.2≒270万円 ⇒650キカルで17億円)

ダリク:ダリク金貨の重さは8.4g (8412円×8.4≒7万円 ⇒ 千ダリクで7000万円)


1.エズラの帰還旅行

 エズラは前458年にユダに帰国します。祭司であり、律法の教師であったエズラは、トーラー(モーセ5書)を編集し、研究を行う律法学者でありました。

参考『7:7 アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、7:8 同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。7:9 彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。7:10 エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。』

エズラの旅行について、最初に帰国した者たちの人名表が示されています。祭司を中心に1500名の男子ですから、家族を含めれば3000〜4000人の大移動です。

2.旅の祈り

 一行はバビロン郊外のアハワ川に集まって、3日間野営しました。当時の旅行は、野盗や野獣に襲われる危険がありましたが、エズラたちは神が守るということで、護衛なしで旅に出ました。

 エズラたちはペルシア王の支援を受けて莫大な価格の金銀の祭具を持参しました。銀650キカル、金100キカルです。現代の価格では十数億円になります。(古代の方が、もっと価値はあったでしょう)

4ヶ月後無事に、エルサレムに着いた彼らは多くの捧げ物を捧げて、旅の無事を感謝しました。しかし、これは道半ば。失われた聖書、祭儀、信仰を取り戻さなければなりません。


3.エズラの旅の意味

 エルサレムの神殿は再建されましたが、礼拝や祭儀は正しく復活されたとは言えませんでした。まず、トーラー(モーセ五書)が失われていましたし、祭儀も忘れられていました。イスラエルの国土(ユダ)の大半は廃墟のままであり、人々の心の支えであった神殿は、形だけ復活していたと言えます。このようなユダを立て直すために祭司エズラや行政官ネヘミヤが相次いでバビロンから帰国しました。

 エズラが帰国後早速に始めたのは異教徒との結婚の禁止でありました。

エズラ10:1-4『エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った『私たちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。今、私の主の勧めと、神の御命令を畏れ敬う方々の勧めに従って私たちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします。律法に従って行われますように・・・』』

 現代に生きる私たちには、国際結婚の禁止などは、理解できません。しかし、当時は民族の同一性を保つために必要だと理解されていました。特に、イスラエルの民は神様に選ばれた民との誇りがありますから、近隣の民族と混血することを嫌いました。また、歴史的にも混血によって、神様への信仰を捨て、偶像礼拝に走るきっかけを作ってきたわけです。ですから、この律法こそユダヤ民族を生き残らせた力でした。(割礼も異民族ヘの同化を防ぐために捕囚時代に普及した習慣)

 エズラは、祭具を持ち帰りました。すなわち、過去の祭礼を元に戻すことが必要だったからです。また、バビロンで受け継がれてきた聖書(モーセ五書)の編纂も、この祭儀の復活には必要なものでした。聖書も祭儀も失われていたイスラエルに神殿が与えられ、そして、集めるべき信仰はエズラやネヘミヤがエルサレムに帰還してから、再出発することとなります。