ガラテヤの信徒への手紙2:1-10

ラテヤで起きていた問題


 

1.ガラテで起きていた問題

 ガラテでも同じ問題が起きたのでしょう。パウロは、シリアのアンティオキア教会での状況について語ります。この危機については使徒言行録15:1-2 に記述があります。問題は「ユダヤから下ってきた兄弟が『割礼を受けなければ、救われない』と説くので、混乱したことでした。パウロとバルナバは、その解決のためにエルサレムに上った経緯がありました。

 ガラテで、パウロが福音を宣べ伝えてその地を去った後に、他の宣教者たちがやって来て「パウロの宣教は不十分だ」と教え始めたのです。ガラテ教会の場合にも、パウロに反対する者は、律法を重視するユダヤ人のキリスト信者でした。彼らの中心的な要求は「異邦人キリスト信仰者も割礼を受けるべきである」というものでした。しかし、パウロはこの問題を「救いの根本」に関わる重大事項だと考えたのです。パウロは、このように説明しています。ガラテ『5:6 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。』

 パウロがガラテの信徒たちに伝えたのは、紀元48年にエルサレムで開催されたキリスト信仰者たちの協議(いわゆる「使徒会議」)で決められた「割礼をめぐる問題」についてでした。ここでパウロが使徒会議を持ち出したのは、パウロの反対者たちが「パウロvs使徒たち」と言う構図を強調したからだと思われます。実際は、使徒会議でエルサレムの使徒たちはパウロの見解に同意しているのです。それが、教会が一致しているのに、パウロの反対者によってその一致が壊されようとしていたのです。

 過去にアンティオキア教会で、パウロは反対者に一切譲歩しませんでした。ガラテ教会でも同じです。そもそもこれは神様が決定なさった事柄であり、人間にはそれを勝手に変更する権利がない事柄だからです。信仰には次の二つの事が元になっています。①神様によって啓示された諸真理②私たち人間が神様から命令や指示を受けていない事柄。この二つは、明確に区別しなければなりません。しばしば混同されるからです。その結果として、次のような間違った教えが生まれます。

①神様の明瞭な啓示を無視し、委ねられていない事柄まで「人間には自由がある」と教える。

②人間が勝手に作りあげた命令に服従するよう、キリスト者を強制する。

 これらは重大問題なので、キリストの信徒が全員が承認するような解決を図る必要がありました。そのような決定を下す場所はエルサレムでした。エルサレムは使徒たちがいる、キリスト教の原点の教会だからです。しかし、その結論は、このようなものでした。

使徒『15:28 聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。15:29 すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」』

 この決定は、異邦人が多い教会も対象としたものだと考えるのが自然です。使徒会議の決議書に明記されている禁止事項は、ユダヤ教から改宗したキリスト信仰者たちの良心をむやみに傷めることを避けること、および、教会全体の一致を保つために異邦人キリスト信仰者たちも従来自由であったことの一部を制限しなければならないことが書かれているのです。この事実をガラテの信徒には書かなかったことから、パウロは異邦人の信徒に配慮したのだと思われます。なぜなら、この決定は、異邦人信徒への戒めだけに特化されており、律法を守っている人には何の影響もないからです。そういう意味で、この決定事項を伝えたらかえって、異邦人の信徒は差別されているように誤解をしかねなかったと思われます。一方で、割礼だけに注目すると、その強制はどこにも歌われていません。

2.神様から与えられた使命

 エルサレムでの決定は、神様が決定したことです。そして、それぞれに、使命が与えられました。

『2:7 それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。』

 この箇所から、使徒会議における決定のはるか前から、神様が異邦人伝道について導いてきたことを思い起こさせます。それはペテロがヨッパの町で神様から受けた幻であり、また、コルネリオの家での出来事(「使徒言行録」10章)でした。どちらの出来事にも神様による導きがはっきりと見られます。神様の意思は福音がユダヤ人だけではなく異邦人にも宣べ伝えられることなのです。

 エルサレムの使徒会議の決定事項はパウロの立場から見て望ましいものでした。割礼を受けていない異邦人キリスト信徒も完全に真のキリストの信徒であることが正式に承認されたからです。その一方で、使徒会議ではこの決定にあたって、二人を任命します。ペロはユダヤ人伝道の責任者として、またパウロは異邦人伝道の責任者として任命されたのです。そして、この決定以上になんら義務は負わせられていません。

 その結果、異邦人のキリスト教信徒たちの側でも使徒会議の決定事項を承認しました。また、エルサレム教会を援助するために献金を募ることにしました。エルサレム教会には貧しい人々がたくさんいたからです。

そもそも、エルサレムにその当時集まっていたユダヤ人は、皇帝クラウデイウスから、ローマを追われた人々が多く、職に問題がありました。また、改宗した者は親戚の援助が難しかったのだと思われます。そういうなかで、エルサレムの教会は当初から集団生活をしていましたから、信徒の生活を支えるために大変な費用が掛かっていたものと思われます。ということで、教会が割れないで済んだのは、神様のこれらの決定と配慮によるものだと言えます。