使徒5:27-42

 イエスの名のために


202210月 23日 主日礼拝

イエスの名のために
聖書 使徒言行録5:27-42

今朝は、使徒言行録からみ言葉を取り次ぎます。使徒たちが、エルサレムで福音を伝道し始めたころのことです。使徒たちは、イエス様に倣って、神殿のソロモンの回廊で教え、そして癒しを行っていました。すると、多くの人たちが、「救い主はイエス様だ」と信じました。ところが、使徒たちが、大勢の群衆に囲まれながら、伝道をしているのを見て、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々はねたみに燃え(5:17)使徒たちを牢に入れてしまいます。使徒たちは、何の罪を犯したのでしょうか? 問える罪はないはずです。しかし無理をしてでも、大祭司たちには使徒たちの伝道を止めたかったのです。まず第一に、使徒たちは民衆に人気があったからです。大祭司たちは、自分たちこそが、最も尊敬されるべきだとでも思っているのでしょう。人気がある使徒たちを、捕まえてしまえば伝道活動は止まります。そうすれば、民衆は使徒のことなどは忘れ、また大祭司に尊敬が戻ってくるとの思惑からです。そして、もう一つ。大祭司たちには負い目がありました。それは、イエス様を十字架につけて殺したことです。実際に処刑を命令したピラトでさえも、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」(マタイ27:24)と突き放したくらいですから、この血の責任は大祭司たちにあります。ただでさえ、罪のない人に罪を負わせて殺した引け目があります。そこにさらに、イエス様の福音を語りますから、大祭司たちにとって都合が悪かったのです。なぜなら、福音を語るということは、イエス様の十字架と復活を語るからです。それはそのまま、「大祭司たちが、救い主であるキリストを殺した」と、人々に伝えることと同じです。これでは、大祭司の権威もたまったものではありません。さらに、サドカイ派の人々は死人の甦りを否定している人たちですから、イエス様が十字架の出来事の3日目に復活したとの 福音はあまりに都合が悪かったのです。だから、罪を犯したわけではない使徒たちを捕まえて牢に入れました。かなり乱暴に思えますが、この時代は3権が分立していません。立法、司法、行政のすべてを、最高法院の議員たちが握っていたわけです。そういうわけで、使徒たちは何の罪かも教えられないまま、そして取り調べもないまま牢屋に入れられてしまいます。

『5:19 ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、5:20 「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。』

 こうして再び使徒たちは、神殿で福音を宣べ伝え始めます。そんなことを知らない大祭司たちは最高法院に、使徒たちを呼びつけます。そして、下役が牢に行くと、牢の中はかぎが掛かっていて、誰もいなかったのです。慌てた下役は、神殿で教えている使徒たちを見つけると、最高法院に連れて行きました。こうして、裁判が始まります。

『5:27~大祭司が尋問した。5:28 「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」』

以前、ペトロとヨハネは(『4:18 そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。』)大祭司や議員からイエス様の名で教えることを禁止されていましたが、その命令に使徒たちは従いませんでした。群衆が使徒たちの教えを熱心に聞いたからです。大祭司からすれば、大祭司の命令を無視したのが第一の罪だったのでしょう。そして二番目の罪は、イエス様の流した血の責任を大祭司たちに突きつけられていることです。大祭司たちが正しい裁判をせずに、イエス様を十字架にかけました。この大祭司の負い目を、使徒たちが責めていると受け止めたのでしょう。実際、福音を聞いて信じた群衆に、大祭司のことを「救い主を殺した人」、「正しい裁判をしない人」と言われるのは、不都合なわけです。群衆は群衆で、また大祭司が正しくない裁判をするのではないかと疑っています。そんなわけですから、騒ぎになってもおかしくないような裁判となりました。

 その裁判で使徒たちは、堂々と「神様に従う」ことを宣言して、イエス様のことを証言しました。

『5:29 ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。5:30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。5:31 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。5:32 わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」』

 大祭司は、「イエス様の名で教えてはいけない」と命令していました。使徒たちは、その言葉に従いませんでした。その理由は、大祭司は人間でしかない。だから、神様に従うのが当然だということです。大祭司の権威を完全否定する言葉ですから、この段階で大祭司たちを怒らせています。そして、「イエス様に起こったこと」を証言しました。「神様は大祭司が木につけて殺したイエス様を復活させた」こと、「神様はイスラエルを悔い改めさせるために、その罪を赦すために、イエス様を導き手として神様の右に上げられた」ことを証言します。このことは、事実そのものです。このように「イエス様の十字架と復活」を使徒たちは、証言しました。そして、聖霊によっても証言されていると主張するのです。

 大祭司たちは、当然怒ります。「大祭司は、人殺しであり、罪を悔い改めていない」と罪を問われているのであり、「神様は、イエス様を復活させたうえに、人殺しをした大祭司の罪をも、イエス様を通して赦されようとしている」と、憐れみを向けられているわけですから、自尊心を傷つけられたことでしょう。また、加えて大祭司が殺したのは、神様のひとり子だったのです。大祭司たるものが、なんとひどい大罪を犯したのか?との 強い非難と言えます。

 ここにガマリエルと言う名の議員が現れ、その場を落ち着かせました。この人はパウロの先生(22:3)だった人で、最高法院の議員でもある律法学者です。議員たちから尊敬されていたこともあって、ガマリエルの指示に皆が従いました。まず、使徒たちを外に出します。お互いに冷静にできるようにとの配慮だと思われます。そこで、ガマリエルは、テウダとガリラヤのユダの話をします。

 この二人は、ローマに対して反乱を起こした人です。ガリラヤのユダの反乱は紀元後6年頃にありました。「神様がイスラエルの王であるのだから、ローマへ税を納めることは神様への冒涜である」と主張して、ローマと戦い、鎮圧されました。テウダについては、ヨセフスという歴史家が紀元後44年、45年頃の反乱として報告しています。ペテン師テウダは、「全財産をもってヨルダン川に来るように」民衆をそそのかしました。「ヨルダン川に行くと川が割れて簡単に渡れる」と預言者のようなことを言って、だましたのです。ローマ総督ファドスは、この反乱が大きくなる前に、騎兵隊を編成してテウダを倒したそうです。この頃、ユダヤではローマへの反乱がいくつも起きていました。それも、ユダヤ教の名前を使ったものです。その実態は、宗教を利用した政治的反乱でありました。彼ら反乱者の目的は、伝道ではなくて、お金儲けや、ローマを追い出すためのものです。つまりガマリエルは、生まれたばかりのキリスト教は、宗教的な目的ではなくて、お金儲けや反乱を目的とした集まりの可能性があると評価しました。ですから、ガマリエルは、決して使徒たちに同情したわけでも、仲裁に入ったわけでもありません。むしろ、ファリサイ派の律法学者ですから、最もイエス様と対立した一人だと言えます。また、ガマリエルの弟子のサウロ(後のパウロ)がギリシャ語を話すキリスト教徒を迫害していたことからも分かるように、ガマリエルには少しもキリスト教徒たちに同情するわけはなかったのです。ただただ、自滅を待とうという判断でした。

 ガマリエルの判断は「人間のずるさ」でありました。神様によって与えられた知恵ではなく、人の経験でした。それは、「宗教を騙る群れは、やがてその本性を出し、金儲けか、反乱に走り出すだろう」と言うことです。つまり、問題を先送りにして、「そのうち自滅するのを待とう」と言うことなのです。責任を回避したと言った方がよいでしょう。ガマリエルが避けたかったのは、使徒たちをこれ以上に厳しく取り締まってしまうと、群衆がそれを許さないだろうと言う事です。そして、ガマリエルは、この言葉で結びます。

『5:39 神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」』

 これは、ガマリエルの本音では無いと思われます。むしろ、祭司長や最高法院がこれ以上使徒たちに手を出してしまうと、民衆が騒ぎ出すおそれがあったのでくぎを刺したのだと思われます。また、今後イエス様の名前で使徒たちが教えていた場合、どのように裁くのがよいか、ここで前例ができました。むち打ちです。ここで使徒たちは、「イエス様の名によって教えてはならない」と再度禁止を言い渡されましたが、それを破っても、むち打ちで済むことになりました。ガマリエルの意見によって、福音を伝道することが、実質的に許されてたのです。また、祭司長や最高法院の人々は、キリスト教の伝道をやめさせようとしますが、使徒たちはより熱心に福音の伝道に励みました。その結果、多くの者に信仰が与えられ、祭司の中にもイエス様を信じる者が与えられます。すべては、福音伝道のために神様が計画されたことであります。

 使徒たちは、喜びました。命がけで伝道していたからです。皮肉なことに、ガマリエルの日和見的な判断によって、むち打ちの痛みを抱え続けながらとの条件は付きましたが、伝道を続ける道が開けたのです。その陰には、使徒たちの福音を聞いて信じた者たちの祈りもありました。その祈りが聞かれたのです。


『5:41 それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、5:42 毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。』


 私たちは、伝道の成果が出ない時、イエス様の名を語ろうとしても相手が聞いてくれない時、どうしたらよいか悩みます。元気も出ません。しかし、この使徒言行録の記事を読みますと、困難の中でなお喜び、諦めずに語り続ける使徒たちの姿がそこにはあります。そして、私たちもこのように歩みたい。そう思うわけです。そういった、献身的な伝道者、そして献身的な働き手によって、キリスト教は伝えられ、そして維持されてきました。私たちの教会も同じように、献身的な信徒たちによって、多くのことが支えられてきたのです。そして、私たちは今、11月26日のコンサートを準備しています。できることから、一人一人が、イエスの名のために働き、このコンサートを支えることが出来ますように。また、この集まりを機会にイエス様を信じる人が与えられるように、イエス様の支えと導きとを 祈り求めていきましょう。