当時の庶民の家:3の部屋(LOWER LEVEL)にイエス様がいたわけですが、はしごで屋根に上って5の部屋の床(3の部屋の屋根)の泥を剥げば、人を通すぐらいの穴は作れます。
1.中風の人の罪を赦す
イエス様は、本拠地にしていたカファルナウムに戻ってくると、そのことが知れ渡って、大勢の人が集まってきました。「大勢の人」のためにイエス様に近づけない人たちがいました。「中風の人」を寝床のまま運んで来た四人の人たちです。彼らはイエス様に近づくために、屋根に上り、「屋根をはがして」、中風の人を寝床のままつり降ろしました。
イエス様は、彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言いました。中風の人と、中風の人を運んで来た四人にとって、それは思いがけない言葉だったと思います。なぜなら、彼らが期待していたのは『起きて、床を担いで歩け』という言葉であり、『あなたの罪は赦される』ではなかったはずだからです。
イエス様が「罪の赦し」に言及したのは、中風の人の罪があって、その罪が原因で中風になったということでしょうか? それとも、すべての人が必要としている罪の赦しをこの中風の人に与えたのでしょうか?たぶん、後者であると思われます。イエス様に見てもらえば、治る。そう信じていたからこそ、四人の仲間が 屋根に穴まであけて、イエス様に会わせたのですから、その信仰によって罪は赦されるのです。
2.律法学者たちのつぶやき
イエス様が「罪の赦しの宣言」するところをを聞いていた「律法学者たち」が心の中で
『神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。』
と批判しているのを、イエス様は見抜きました。そして、
『なぜ、そんな考えを心に抱くのか。2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』
と彼らに尋ねます。
律法学者たちが、どう答えたかは記されていません。どちらにしても、言うだけは簡単ですが、罪を赦すことも、起きて歩くのも、簡単なことではありません。罪を赦すことは、神様にしかできることではないし、起きて歩くためには、中部の病が全快し、そして衰えた体力も瞬時のうちに回復しなければなりません。つまり、どちらも人にはでき得ないのです。さらに、罪の赦しは、目に見えないのです。罪の赦しの権威をイエス様が持っていることを示そうにも、だれも理解できそうもありません。しかし、イエス様は中風の人を癒すことで、その権威を持っていることを示します。
『「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。』
人には為しえない、しるしをイエス様が見せました。この奇跡は、だれも起こすことができません。神様にしか起こせないのです。それは、同時にイエス様に、人の罪を赦す権威があることを示したのでした。肉体の癒やしは大きな恵みに違いありません。しかし、それにまさる恵みは「罪の赦し」です。