1. 罪を犯さないヨセフ
ここで強調されているのは「主がヨセフとともにいた」ということです。エジプトで奴隷として生活するヨセフには、神様がともにいてくださったことが強調されています。
『39:3 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、39:4 ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。』とあります。
主人ポティファルはエジプト人ですから神様を知りません。その彼が、神様がヨセフとともにいることを認めたということは、彼が日々神様に祈り、神様により頼んでいることをポティファルは知っていたのです。そして彼のすることすべてが成功するのを見た。その時にポティファルは彼の背後に神様がいて、神様がそのように導いているということを認めざるを得なかったのです。他の奴隷たちと違って、いつもまっすぐで、信頼できる働きをしている。そのヨセフをポティファルは愛するようになり、ついにはその家と全財産をヨセフに委ねるようになったのです。するとその時からポティファルの家は益々祝福されました。ポティファルは自分が食べる食物のこと以外は、すべてヨセフに任せるようになりました。
体格も良く、顔だちも美しく、仕事も良くできるヨセフにポティファルの妻が目をつけます。そして『わたしの床に入りなさい。』と言って来ます。ヨセフはこれを拒みます。ポティファルの妻と寝ることはもちろんポティファルに対する悪事ですが、それは何よりも神様に対する罪だからです。しかしポティファルの妻は毎日毎日ヨセフに言い寄りました。ヨセフはこれを聞き入れず、一緒にいることもしませんでした。しかしある日、家の中に一人もいなかった日、彼女はヨセフの上着をつかんで『わたしの床に入りなさい。』と言います。これは、命令です。奴隷としては、逆らうならば命に係わります。しかしヨセフは、神様を第一にしていたので、そこから逃げます。つかまれた上着は残したままですから、死を覚悟の上だったと言えます。ポティファルの妻は侮辱されたと思い、憤ります。
2.罪に問われたヨセフ
ポテファルの妻の憤りは、①「奴隷が命令に逆らった」②「誘ったのに振られた」事実によって、侮辱を受けたということなのでしょう。そして、訴えたくても①はともかくとして、②がばれてしまっては、自分自身の立場がありません。そこで、ポテファルの妻はヨセフに濡れ衣を着せようとします。この訴えを聞いてポテファルはヨセフを捕らえ、王の監獄に入れました。おそらくポティファルはヨセフに聞いたでしょう。そして、ヨセフは無実を訴えたはずです。もしポテファルがヨセフに怒っていたならば、ヨセフは即死刑だったと思われます。ポティファルがヨセフを死刑にしなかったのは、彼を信用していたからです。だからと言って妻の名誉がかかっているのに、何もしないわけにも行きません。それで、ヨセフは死刑は免れたものの投獄されました。命は助かったとは言え、これまで時間と労力をかけて主人の信頼を勝ち取ったのに、その築き上げてきたものを一瞬にして、ヨセフは失ったのです。
監獄でも神様がヨセフとともにおられました。ポテファルと同じように、ヨセフを預かった監獄の長は、彼を信頼するようになります。そして、ヨセフは監獄の囚人と、監獄のすべてを管理する者となりました。
『主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。』
以前よりもっとひどい状態に落とされたのに、そこでも人々から信頼を勝ち取り、大切な働きを委ねられるようになったヨセフでした。神様がヨセフとともにおられるなら、なぜ彼をポティファルの妻の企みから救い出さず、監獄送りにさせたのか?と私たちは思います。しかし、この監獄に入れられたからこそ、ファラオの前に出て、エジプトを飢饉から救うこと、そして一族を救うことができたのです。