1.エレミヤ
エレミヤは、旧約聖書の『エレミヤ書』に登場する古代ユダヤの預言者で、名の意味はヘブライ語で「ヤハウェが高める」です。紀元前7世紀末から紀元前6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活動しました。父はアナトトの祭司ヒルキヤ。
旧約聖書の『エレミヤ書』と並んで、『哀歌』もエレミヤの作とされています。『エレミヤ書』は『イザヤ書』『エゼキエル書』とならんで3大預言書のひとつとされ、旧約時代の預言者のなかでも、重要視される人物です。
2.エレミヤの召命
エレミヤが預言者として召命を受けたヨシヤ王の第13年は、エレミヤの25才頃の時であったと考えられます。4-10節の召命のことばを見ても、幾つかの区切りがあり、それぞれの背後にある体験は比較的長期にわたっているものと思われます。
神様がエレミヤの生涯に介入される5節の召命のことばは、エレミヤの一生を位置づけしています。
『1:5わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた~』という神様の言葉は、彼の存在の根源にまで立ち戻っています。エレミヤにとっては、不意に臨んだ「神様の言葉」でありますから、圧倒されたと同時に、彼を高めるものでありました。エレミヤはこの召命の言葉によって、自分自身は、神様による被造物として神様にかたち造られたものであることを認識しました。エレミヤは、ここで、創造と選びという神様の業の中に取り囲まれていることを知ったのです。
この選びがエレミヤに何を意味するかは、こう書かれています。
『1:5~母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。』
ここに、エレミヤが選ばれ、預言者として立てられたのは、すべては神様の意思だと はっきりと語られています。「聖別」という言葉は、元来、祭儀に由来する用語で、「日常生活にまつわる諸事情から遮断され、神様との特別な関係に入れられる」ことを意味します。ここでは、神様からの委託を受けて、実際に使命を果たし、業をなす、という目的で聖別したわけです。こうして召命を受けたエレミヤは、繰り返し神様からの助けを必要とする中に、エレミヤの任務の悲劇性がありました。そしてこの悲劇性の故に、エレミヤはわたしたちの苦難の同伴者となるのです。
神様がエレミヤを召した任務は、諸国民に対する預言者になることです。アッシリアの属国となっていたユダの運命は、バビロンとエジプトの歴史と密接に結びついていました。このことは必然的に、自国民に向けられた預言者のことばの中にもこれらの諸国への言及となります。しかし、この預言について中東地域のことと見るのではなく、より普遍的な《諸国民への》預言が課せられていたと考えるべきです。全世界の主としての神様が、歴史を支配する最高の主権者である。その事実の下で、神様の全世界へのメッセージとしてエレミヤの預言を読み取ることが必要です。
エレミヤは、この神様の召命に素直に従ったわけでありません。彼にはこの召命に応じられる自信をまったく持てなかったからです。エレミヤは、何者も恐れずに神様のことばを告げねばならない預言者の難しさを知っていました。そしてまた、預言者の運命についてよく知っていました。エレミヤが恐れたのは、神様からの召命そのものでありました。彼には、エリヤのように烈火のように激しく戦う性格でも、イザヤのように自ら進んで神様の命令に従う性格でもありません。それゆえ、エレミヤにとってその職務は、あまりにも過酷なものと思われました。預言者としての職務の重荷のため、エレミヤはまったく孤独となりました。この孤独こそ、彼の試練と嘆きを生む原因となりました。しかし、神様は、この召命について、エレミヤの嘆きを退けます。
『1:7~若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す~』
神様は、躊躇うエレミヤに対して、助けを約束しています。またこの神様の言葉には、預言者職が持つ二つの使命が語られています。第一に、預言者は自分が行きたいところに行くのではなく、神様が遣わすところへ行くことです。第二は、「わたしが命じることをすべて語れ。」という神様の意志に従うことです。神様の命令に従うことによって、彼は神様の全権委任を受けた使者となるのです。しかし、神様は預言者に服従だけを求めるのではなく、約束を与えておられます。「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と、救済の約束を付け加えます。
エレミヤに与えられた使命は、『1:10~抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるため』です。彼が取り次ぐ神様のことばは、災いと救いです。まさに、国の滅亡の真っ直中で、新たなものを創造される神様であります。そして、この神様の摂理の故に、エレミヤ自身は神様の業の証人として、神様に選ばれたのであります。しかしその使命ゆえに、彼の苦悩が続きます。神様の救いを指し示すために立てられた預言者エレミヤは、自らの苦悩を通してそれを指し示すからです。