1.招きにふさわしく
パウロは、クリスチャンとして生きるために、このようなアドバイスをしています。
『神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、4:3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。』
さて、わたしたちは何に招かれたのでしょうか? 単に、天国に招かれたのではありません。クリスチャンとなり、教会となるために招かれたのです。それは、教会のメンバーとなることではなく、キリストの体の一部となっていくということです。
それは、2,3節のように生きるという事です。そして目指すのは、「霊による一致を保つ」事です。
わたしたちは、それぞれがキリストの体として招かれました。そして、一人一人が素晴らしいタレントを持っています。しかし、それぞれがバラバラだったとしたら、大勢の人々が集まったとしても、それはうまく機能しません。どうすれば教会の一致を保つ事ができるのでしょうか?そのために必要なのは、わたしたちが柔和で寛容を示し、愛を持って互いに忍耐し合う事なのです。
2.からだは一つ
わたしたちは、自分を基準として、他の人を見てしまう傾向があります。そして、自分の価値観と相反するものを受け入れる事が難しかったりします。そうすると、気の合う者だけで集まり、自分たちと違う人たちを批判しはじめたりするのです。教会も例外ではありません。これまでの歴史の中で何度も分裂を繰り返してきました。
パウロはこう言っています。
『:4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。4:5 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、』
わたしたちは、自分たちと異質であったり、価値観が合わなかったりすると、自分の敵であるように感じるかもしれません。しかし、キリストの教会は、教派が違ったり、教えることが同じでなくても、それは同じイエス様を頭とする体の一部なのです。わたしたちは、キリストを通して神様との関係を回復するという同じ希望を分かち合っているはずです。
3.キリスト者の成長
さて、わたしたちがキリストの体として機能するため、それぞれに神様から与えられている能力を、“賜物”と呼びます。賜物には色々な種類があって、それぞれに違うものが与えられています。
この手紙の中では、その中で教会を建て上げ成長させる、5つの賜物が紹介されています。
『4:11 そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。』
使徒は、直接イエス様に出会った弟子たちのことです。現在は、使徒が任命されることはありませんが、カトリックの司教は、使徒と同等の地位だそうです。預言者は、神様の言葉を取り次ぐ人です。現在は、(自称する人はいるかもしれませんが、)預言者はいません。しかし、聖書の中の物語で、私たちは預言を聞くことができますし、それを教える教師がいます。福音宣教者は、福音を述べ伝え、救いへと促す人たちです。牧者とは原語では「羊飼い」を指す言葉です。そして教師は、聖書や教理を教える人です。
この5つの働きの目的ですが、これらの働きは、信徒の成長のためにあります。では、現代の教会が求めているクリスチャンの成長とは何でしょうか?
聖書を読む、礼拝に出る、祈る、献金する、伝道のために奉仕する。これが信徒の基本でありますが、これだけで成長するのでしょうか?パウロは、クリスチャンの成長についてはこのように言っています。
『4:12 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、4:13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。』
よくよく読んでみると、何かをしなさいとか、気をつけなさいと言うことではないのですね。あるのは、奉仕の業に神様が招いたという事実だけです。すべての賜物は、神様が与えたもの。そして、すべての働きに必要な賜物は、そもそも備えてくださるのです。そして、キリストの体を作り上げていく過程で、わたしたちは成長するのです。私たちに必要なことは、「神の子に対する信仰と知識において一つのもの」となることだけ。あとは、すべてを神様が準備してくださるのです。
『4:15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。』
「愛に根ざして真理を語る」ことで、わたしたちが一つのものとして成長する。それが、パウロの結論です。