詩編85:1-14

平和への祈り

2020年 8月 9日 主日礼拝(平和礼拝)

『平和への祈り』

聖書 詩編 85:1-14           

 今日は、平和についてのお話です。

 毎年この時期は、かつて日本が引き起こした戦争の話題が上がります。1945年8月6日には広島市、同9日には長崎市に原子爆弾が投下されました。広島では十余万人、長崎では7万人を超す死者が出て、残った被爆者たちは今もなお苦しんでいます。また、沖縄での地上戦での多くの犠牲者が出たなど、8月15日の終戦記念日にあわせ、毎年語り継がれてきています。わたしも、長崎市に住んでいましたから、被害者から見た原爆記念日を毎年迎えていました。長崎教会には、原爆の証言をされている姉妹が現在でも健在ですから、その姉妹の証も何度も聴くことが出来ました。原爆の日は、原爆投下の時間の1分間の黙とうが職場でも許されていました。原爆の投下の時間は、長崎港中の船が汽笛を鳴らし、あちこちの造船所のクレーンからサイレンが流れます。その趣旨は、原爆犠牲者への追悼であり、平和への祈りです。


 平和を願うのは誰でも同じことです。しかし、現実に戦争が起きてしまって、そこには被害者がいます。そして、同じように加害者がいます。中には、加害者と被害者の両方であった人もいるでしょう。戦争の被害の悲惨さという被害者目線だけではなく、「戦争につながった環境」「戦争を起こした責任」「戦争を止められなかった国民性」などについても、語り伝えていくことは、私たちクリスチャンの務めです。

例えば、ドイツでは、国会議事堂の傍に、「ホロコースト記念碑」があり、ユダヤ人の虐殺について、責任の所在を明らかにしています。ところが、日本ではホロコースト記念碑のようなものがありません。それどころか、戦争を礼賛した神社では、A級戦犯を神として祭って総理大臣が参拝する等、国際関係を考えると「とても理解のできない行動」をとっているのです。国際裁判で裁かれた戦争犯罪者を、国を挙げて礼拝しているように見える以上、いくら過去の過ちを「謝って」も、本気には見えないと思います。

その点、ドイツは「戦争責任」については、一切認めていないものの、ユダヤ人への迫害については、ナチに責任があることを認めて賠償しているわけです。


 視点をキリスト教会に向けますと、日本のキリスト教会も残念ながら戦争に加担しました。決して進んでと言うわけではないのですが、天皇を礼拝しないと逮捕されて拷問されたと言う事情もあったからです。当時のキリスト教の指導者の多くは、教会を守るために国と妥協したのです。あまり知られていませんが、キリスト教会は天皇を神として認め、礼拝し、そして戦争に参加したのです。その事実をきちんと後世に伝えることが、戦争への歯止めとして大事だと思います。

 ところで、私は1984年に長崎の工場に就職しましたが、独身寮は、兵器工場のあった場所にありました。そこでは、魚雷等を作っていたのだと思います。他にも、大規模軍事工場があったものですから、それが原爆で狙われたと思われます。そういう加害者的な事実は、被害者目線で作られた原爆資料館の展示では良く分かりません。そもそも軍事産業都市であります。長崎で作られた戦艦、駆逐艦、空母、巡洋艦等の兵器を使って、戦争をしていたのですから、一人一人の市民は原爆の被害者であっても、町全体では加害者の側面もあります。また、長崎はカトリックの町なので、1/10の人はクリスチャンです。そのキリスト教会は平和を祈っていながら、国の力に屈してしまったことで、戦争を止めることが出来ませんでした。


 「こどものとき、戦争があった」と言う本があります。これを紹介してくださったのは、東京バプテスト神学校で教えられていた藤澤一清先生です。私は、長崎教会で記念誌のための資料集めをしていた関係で、今の場所に移る前の、近くの勝山町(まち)にあった会堂の写真を知っていました。残念なことに、この時代の資料はほかに何も無かったのです。藤澤先生の経歴から言うと、その勝山町の会堂に住んでいたに違いないと思って、聞いてみたのです。そうしたら、資料はすべてを燃やしたので、何も資料は残っているはずはないという返事でした。そして、この「こどものとき戦争があった」に当時の様子を書いたことを紹介してくれたのです。その当時の長崎教会は、宮城遥拝と天皇礼拝をしていたと私は見ていましたので、早速購入して読みました。実は、戦時中の週報がたった1枚だけあったのですが、今は所在不明らしいので、もっと確かな情報を得られることを期待したのです。

 この本には、7人のクリスチャンの書き手がいます。それぞれが書いた主題と、その思いを理解頂けるよう、3人分紹介したいと思います。

 

「戦中・戦後の教会と私」 藤澤一清 

 内容 長崎教会で戦時を迎え、敵性宗教として監視された体験。原爆も体験。

 ◆自らの重要な問い「あなたの説教の根底は被害者意識で、自らが教会に対しても、また歴史に対しても加害者であり続けるという意識が見えない」~それに私は向き合わなければならなかったし、今もそうである。

 

「日本と京城(ソウル)、二つの故郷」 三好萬亀

 内容 「日本人が上、朝鮮人が下」という構造の中で生きてきた。敗戦で、満州から復員し肩身の狭い生活 私の故郷はやはり京城 

 ◆~その時、「私も京城出身です」と言ったら、ものすごい目で睨まれたことを今でも覚えています。日本人は本当にひどいことをアジアの国に対して行ってきたからです。~そのとき私は、故郷は遠いとしみじみ思いました。

 

「幸せなら「平和」を態度に示そう-ある軍国少年のストーリー」木村利人

 内容 疎開先で終戦を迎えるまで/日比の友好回復のためのワークキャンプで本当は日本人が憎くて、殺したいと思っていたくらいだった」との本音を聞く。

 「幸せなら手をたたこう」フィリピンの小学校で遊んでいた子供たちが歌っていた歌に木村が詩を作り、受け入れてくれた感謝を態度に示そうと・・

 ◆この歌の明るく元気なイメージからあまり思い浮かばないかもしれないが、実は、この誕生のルーツをめぐる三つのキーワードは、「戦争」と「平和」と「聖書」なのだ。

 

あと4人については、印象の強かった部分を紹介します。

 

(逮捕された牧師の息子さん)

 8月15日戦争が終わりますと、人々の考えがわかってきました。それは、私たち家族に対して、「お前たちみたいな奴がいるから戦争に負けたんだ」と嫌がらせを言ったかと思うと、今度は復員してきた兵士であったものに向かって、「お前たちがだらしないから戦争に負けたんだ」と、負けたことを人のせいにし、自分は何も反省しようとしない本当にずるい人の姿でした。本当は、国をあげて戦争に駆り立てた政府の責任であり、その政府の方針を支持した国民すべての責任でしたが、それに対する反省を聞いたことがありません。これは、子ども心に「こういう人は何だろう」という思いを与えました。


(中国で戦った衛生兵)

 かつてのわが国の戦争も、「東洋永遠の平和のための聖戦」と呼んでいた戦争であった。その「聖戦」と呼んでいた戦争が、どのようなものであったか、その実態を語っておくことは、「聖戦」を戦ってきた者の責務である。

(鉄道省勤労奉仕の女学生)何も知らない真っ白な画用紙のような子どもたちが、一斉に受ける学校教育によって、戦争協力の愛国心に染められていきました。~

戦争における被害と加害の重さに言葉を失いますが、語り続けなければなりません。子どもだったから知らなかったとしても、赦されない罪を負い続けています。二度と無知の罪を犯してはならないと、主にすがって祈ります。


(広島 原爆を体験した女性)

 広島には、「安らかに眠ってください 過ちはくりかえしませぬから」と書かれた碑がたっています。この誓いのためにも、亡くられた方々の死が犬死にならないように、私は自分の体験をいろんなところで語り、世界が平和になるようにお願いしているのです。多くの方々の力が必要だから、助けを求めているのです。

 

 それでは、今日の聖書にはいります。

バビロンに捕囚として連れ去られていたユダヤの民を 神様は連れ戻してくださいました。主が民の罪を赦したので、怒り、憤りを主が静めてくださったのです。

 民は、感謝すると共に、もう二度と同じような悲惨なことが起こらないよう、神様に祈ります。

 『85:8 主よ、慈しみをわたしたちに示し/わたしたちをお救いください。85:9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。85:10 主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。85:11 慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし85:12 まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。』

 

 「愚かなふるまい」とは、異国の神を礼拝したことを指します。それも、一度ではなく、ソロモンの家族たちから始まって、北王国の王やユダの多くの王は、異国の神々を礼拝してきました。

この詩編は、その愚かなふるまいを二度としないためには、「主を畏れる人」であり続けたい。そうすれば、正義と平和がもたらされるでしょう。だから、神様、慈しみを私たちに示し、わたしたちをお救い下さい。と歌っているのです。

 

 その祈りは、今日紹介した「子どものとき戦争があった」の著者たちの祈りに近いものがあります。彼らは、戦争を体験した者として、何がいけなかったのかを、自身のこととして証言しているのです。思い出すのも嫌で語ってこなかったことですが、神様を畏れる者として、「おろかだった」ことを正直に語ることを選んだわけです。

そうして、神様にその「平和への祈り」をささげているのです。

 

 わたしたちも、他人ごとではなく自分の事として、受け止めたいですね。同じことが自分の上に起こったならば、著者たちと一緒で何もできない私たちだと思います。どうすることもできなかった。それでも、何がいけなかったかは、しっかり振り返る姿勢に、私たちも祈って見倣いたいものです。

 

 戦争と言う「おろかなことを繰り返さないよう」イエス様に祈り、イエス様に「平和の実現」を委ねてまいりましょう。