マタイ26:17-30

 過ぎ越しの食事 


1.過ぎ越しの食事

 除酵祭の第一日の最初の食事が、過ぎ越しの食事です。イスラエルの民は、エジプトを脱出した時に、禍がイスラエルの民を「過ぎ越し」したことを記念して、年に一回春に、過ぎ越しの祭りと除酵祭をします。過ぎ越しは初日の夜だけで、その時の食事で種を入れないで作ったパンを一週間食べます。お祭りでありますが、場所と食事を考えると、それなりに準備が必要です。イエス様は弟子に命じて、準備をさせました。

 

 夕方、つまり日が暮れると、安息日でもある過ぎ越しの祭りの時となります。そこで、イエス様は食事を12弟子と共にします。

 

ここで、イエス様は突然の発言をされました。

『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』

当然ながら、「まさか私のことでは?」と弟子たちがざわめきます。

 

そこで、イエス様は、名指しではありませんが、このように予告をします。

『26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」』

 

 イエス様は、旧約聖書の預言の通りに、犠牲になり、三日後によみがえることを予告していました。しかし、ここでは具体的に裏切る者がいて、その目の前であからさまなことを言ったわけですから、いよいよその時が早まるという事になります。また、イエス様はなぜ、ここで弟子たちに予告したのかが不可解です。普通は、そのような事は言わないで、様子をうかがうものだと思います。そういう事から考えると、イエス様は、「その時が来た」と考えて、その裏切りを「自らの意思で進めさせた」のだとも考えられます。

 

 「人の子を裏切るその者は不幸だ」とイエスは言われました。いつも、貧しい者、小さい者に寄り添ってくださっていたイエス様が、このようなことを言われるのです。人々を救うために天の国から降ってきたイエス様ですが、イエス様でもこのイスカリオテのユダは救えなかったのでしょうか? しかも『生まれなかった方が、その者のために良かった』とまで言われました。素直に、この箇所を読むと、「あなたを救うために来たイエス様を裏切るという事は、救われる道を無くしているようなことだ」と感じとれると思います。やはり、「イエス様によらなければ私たちは救われない」という前提に立たざるを得ません。ですから、イエス様を裏切るだけではなく、イエス様に従わないことも、あってはならないのです。

 

2.主の晩餐

 この記事は、最後の晩餐と呼ばれています。現在も、私たちの教会でも月に1回、第一日曜日に主の晩餐式として守っているものです。

 賛美と祈りの後にパンをとって、取り分け『「取って食べなさい。これはわたしの体である。」』

とイエス様は言われました。そして、杯をとって『「皆、この杯から飲みなさい。26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」』と言われました。

 

 パンがイエス様の肉、そしてぶどう酒がイエス様の血を象徴しています。それを会衆が頂くという礼典であります。イエス様の十字架の犠牲と新しい赦しの契約を象徴しますが、この記事の通りにイエス様が始めたことです。私たちは、この最後の晩餐を記念して、同じようにしてパンを食べ、ぶどうジュースを飲みます。そして、十字架に掛けられようとしているイエス様を憶え、そしてイエス様による恵みの晩餐に与ることを感謝するのです。