マルコ14:10-26

  裏切る者と共に

 除酵祭:ユダヤ教の祭日。〈種入れぬパンの祭〉とも訳される。本来,ユダヤ暦のニサン月(太陽暦の3月か4月)14日の夜に祝われる過越(すぎこし)の祭に続く1週間のことであるが,古くから過越の祭の中に組み込まれてしまった。ユダヤ人の先祖がエジプトを脱出した夜,パン種を入れないパンをもって出たことを記念して,1週間,マッツァーと呼ばれる種なしパンを食べる。【コトバンクより抜粋】

第1日 13日日没~14日日没:子羊を屠る 第2日 14日日没~15日日没:過ぎ越しの祭り&安息日 第8日 21日日没:除酵祭終了

太陰暦を使っているので、15日が満月。エジプトでは、太陽暦で修正をかけた太陰暦を使い季節のずれが出ないようにしていた。イエス様は、このエジプト式の暦で最後の晩餐(過越の食事)をしていますが、ヨハネによる福音書を見ると、過ぎ越しの祭りの日に過越の祭りの準備をしています。つまり、一日違うのです。当時のユダヤでは、バビロン式の太陰暦が使われていたのです。イエス様は、エッセネ派の流れを汲みますので、旧来の暦を使っていたと思われます。

ヨハネ『18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。』

1.ユダの企み

 ユダは、師であるイエス様を祭司長たちに売ろうと企てました。魔が差したとか、金庫番としての自身の働きに対し、正当に評価されていないとの恨みだとも言われています。一方で、「ユダによる福音書」(疑典)によると、ユダはイエス様の十字架と復活を成就させるために、選ばれたとされています。

マルコによる福音書では、明確に前者の立場をとります。イエス様の言葉にそれは明確に表れています。

『14:21 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』

2.過越の食事をする

 ユダヤでは、過越の祭り(&除酵祭)が最も重要な祭りです。エルサレムに来たイエス様の一行は、食事も必要ですし、宿も必要です。そこで、その場所を探すのですが、エッセネ派の居住地区にその場所を見出します。(伝承)それは、水がめを運ぶ男を目印として探すようイエス様の指示でも分かります。水を運ぶのは女の仕事であり、男が水を運ぶのは男所帯であるエッセネ派ぐらいしか考えられないからです。そして、たぶんその過越の食事をとった家が、イエス様の弟子たちの伝道拠点となったと思われます。使徒言行録をみると、そこは、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家です。

使徒『12:12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。』

この、マルコと呼ばれるヨハネは、マルコによる福音書の記者だと言われています。

イエス様は、食事の席で裏切る者がいることを指摘します。すでに、この時はイスカリオテのユダは、裏切りの手はずを整えていました。

3.主の晩餐式

  この最後の晩餐で、イエス様は「パン裂き」の儀式を行います。パンは、イエス様の体を象徴し、ぶどう酒は、イエス様の血を象徴します。イエス様の十字架の犠牲によって私たちの罪が贖われたこと、そしてイエス様が復活して、私たちに永遠の命が与えられたことを記念して主の晩餐式は執り行われます。この主の晩餐式は、ほとんどのキリスト教会で行われています。そのやり方は、宗派によっていろいろあります。まず、参加できる資格は、カトリックなどでは特別な日を除き、司祭が一人でいただきます。プロテスタントでは、教会員すべてが参加できます。

 ナジル人の誓いをイエス様は主の晩餐式のなかでされました。特別な請願がある場合、ナジル人となって、髪の毛を切らず、ブドウの実から作ったものを口にせず、死体に触ることもしないことを神様に誓って、ナジル人となるのです。成就したとき、その髪の毛を切って礼拝し、神様に感謝を献げます。

『14:25 はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。』

マタイ、マルコ、ルカとも十字架でのイエス様の死の直前に酸いぶどう酒(ワインビネガー)が差し出されますが、イエス様は飲んでいません。しかし、ヨハネだけがどうしてなのか酸いぶどう酒を受け取っています。

ヨハネ『19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。』