ルカ1:57-80

 バプテスマのヨハネの誕生 

角(つの):マリアの賛歌にもありました。動物の角は,油や化粧料の容器として使われ(サム上 16:1),また角笛として楽器にも用いられました(ヨシュ 6:4)。更に角は「力」のシンボルと見なされ,「角を上げる」(詩 89:18),「救いの角」(詩 18:3)などという表現が生まれています。 祭壇の四隅につけられた突起も「角」と呼ばれ(出 27:2),それにつかまると,過って人を殺した場合でも死を免れると言われています。(王上 1:50,2:28「逃れの町」の項参照)。

1.バプテスマのヨハネの誕生

 マリアはエリサベトを訪問し、3か月滞在しました。その後、エリサベトは男の子を産みます。初産で、高齢出産であったことから心配だったのでしょう。「主がエリサベトを大いに慈しまれた」と聞いて、近所の人々や親類が喜びあいました。

 さて、8日目に生まれた子供に名前を付ける段になりました。その当時の名前の付け方は、親の名前や親類の名前を引き継いだようです。そういう習慣に倣って、割礼を施すためにやってきた祭司は、父親の名前ザカリヤと名付けようとしました。その提案に、母エリザベトは反対します。なぜなら、ザカリヤは天使から、このように指示されていたからです。

『1:13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』

 ですから、エリサベトは「名前はヨハネとしなければなりません」と言います。人々は「あなたの親類にそういう名の付いた人は誰もいない」と言って反対します。それで人々は夫のザカリヤに尋ねます。すると、口の利けないザカリヤは「この子の名はヨハネ」と板に書きます。人々は驚くのですが、ザカリヤとエリサベトにとって、この子の名は、すでにヨハネと決めていたのです。神様から授かった子ですから、名前も神様から授かったヨハネ以外には、考えられなかったのです。ここに二人の神様への信頼と、より頼もうとしている信仰を見ることができます。

 この時、10か月程の間全く口がきけない状態だったザカリヤの「口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」と記されています。神殿で天使から「あなたの妻エリサベトは男の子を産む」と告げられた時、ザカリヤはその言葉を信じませんでした。それ以来、ザカリヤは口が利けなくされてしまったのです。天使から告げられた言葉を信じなかったその罰なのでしょうか? 沈黙の10か月の間、ザカリヤは自分の信仰を問い直し、回心したのでした。

 エリサベトをマリアが尋ねたとき、エリサベトはこのように言っていました。

『1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」』

 10か月もの間、ザカリヤは神様の言葉を信じなかったことと向き合っていました。そして、今、ザカリヤはこの子はヨハネであると宣言して、神様にその行く末を委ねたのです。

『1:16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

1:17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」』

 ザカリヤは、この言葉と向き合っていたのです。今度は、しっかりと神様の言葉を信じ、そしてゆだねることが出来ました。そして、神様から奪われていた声を取り戻してもらえたのです。

2.ザカリヤの預言

 この時、ザカリヤが讃えたのが、冒頭の「ほめたたえよ」のラテン語訳「ベネディクトウス」と呼ばれる讃歌です。この讃歌は、前半で救いの到来を告げて神をほめたたえており、後半で救い主の「さきがけ」としての我が子のことが預言されています。

 救い主がもたらす「救い」とはどのような救いなのでしょうか。それは「敵の手」からの救いです。敵とはサタンのことであり、私達の内に存在する罪を指します。この「救い」は、アブラハムへの神の約束の実現と言えます。では、なぜ、神様はアブラハムへの誓いを忘れず、私達を救われるのでしょうか。それは「神の憐れみ」、自分の独り子を犠牲にするほど真実な神の愛によってです。

 そのようにして神の深き憐れみによって救われた者は、人間性も生き方も大きく変えられます「生涯主の御前に清く正しく」「恐れることなく主に仕える」者にされます。その姿こそ、「キリストによる罪の救いに与ったキリスト者の新しい生き方」と言えます。

 讃歌の後半では、父ザカリヤは我が子の行く末を預言します。生まれたヨハネは「主に先立って行き、その道を備え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」と言います。これは、天使がザカリヤに語った言葉です。これを見ると、神様の言葉を受け止め、10か月の間温めていたことがわかります。

この讃歌は、『1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。』と言ったマリアの信仰と同じであります。み旨の通りにしてくださいとのザカリヤの祈りでもありました。