エゼキエル34:1-16

私は民を養う

2022年 5月 1日 主日礼拝 

私は民を養う

聖書 エゼキエル34:1-16       

 おはようございます。今日の聖書は、エゼキエル書からです。エゼキエル書は、『イザヤ書』、『エレミヤ書』とならぶ三大預言書と呼ばれていますが、時期的には、バビロンに捕囚された紀元前597年以降となります。エレミヤ書がエルサレムの滅亡前に語られた神の言葉だとすれば、エゼキエル書はイスラエルの民がバビロン捕囚の最中に語られた神の言葉です。エゼキエルは捕囚となった民の中から預言者として召命を受け、神のみこころを伝えた人です

 

 預言書には歴史的背景がありますから、預言者の生きた時代を知っておく必要があります。

 詩編137篇にこのような歌があります。

 『137:1 バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。137:2 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。137:3 わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。137:4 どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。』

 

 これは、異教の地バビロンに捕囚されていた時、イスラエルの民がエルサレムを懐かしんだ歌です。ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525年? - 1594年2月2日)という作曲家が、この歌を使って、4声のポリフォニー(無伴奏の合唱曲)を作っているなど、有名な箇所であります。(パレストリーナは、イタリア・ルネサンス後期の音楽家で、教会音楽の父ともいわれています。)

祖国を失い、そして知らない異教の地に連れてこられた民の嘆きを歌っているわけですから、エゼキエル書を読み解く前に、その心情をこの詩編137編で理解してみたいと思います。

 

 そのためにまず、バビロン捕囚とは何か?を説明しますと、略奪目的の侵略戦争が昔からありました。その戦争に敗れたイスラエルの民がバビロンに拉致されたと言う事です。バビロンの国がその武力をもって、イスラエルの国ユダを滅ぼし、富を奪い、人を奪い、そしてイスラエルのユダの国は放置されたのです。1回ではなく、あわせて4回捕囚がありました。 最初の捕囚は紀元前597年で、このときエゼキエルもバビロンのケバル川沿いに移されています。(エゼキエル1:1)その後、2回捕囚があってから、エルサレムの神殿が破壊されつくされたのです。 紀元前586年のことです。バビロンの手によるものでした。しかしそれは、イスラエルの神様にイスラエルの指導者たちが従わなかったがために起こった、神様の御意思による出来事でした。当時、まだイスラエルに残っていた人々も、バビロンに捕囚された人々も、エルサレムの神殿まで破壊されるとは考えていませんでした。そこで、イスラエルでは預言者エレミヤが、バビロンでは預言者エゼキエルが、繰り返し神殿の破壊を預言して警告していたのです。しかし、イスラエルの民はその神様の警告に対して耳を貸しませんでした。こうして、イスラエルの心の支えであったエルサレムの神殿まで失ってしまったのです。そして、すべてを奪われた最後の捕囚は紀元前578年でした。

 

 それでは、詩編137編に歌われていることについて、読み解いてみましょう。

 『バビロンの川のほとりに座って、故郷であるエルサレム そして破壊されつくしたエルサレム神殿を思い、私たちは泣きました。もう神様に賛美を捧げたあの場所はないのです。ですから、私たちが神様を賛美するための竪琴は、川のほとりの柳の木々にたてかけて、弾くことをやめました。歌いたくないのです。バビロンの民は、「歌を歌え」と言います。私たちを嘲(あざけ)る民が、楽しもうとして「歌って聞かせよ、エルサレムの歌を」と言います。どうして、そんなときに歌えましょうか?私たちの歌は、神様を賛美するために神様に捧げるもの。この異教の地で、どうして神様ではなく私たちを嘲る人々のために、賛美の歌を歌えるでしょうか?』

 

 今日の聖書の箇所で、1節から8節までは、イスラエルの牧者たちに対する神様の言葉が書かれています。イスラエルの牧者とは、羊である民を世話するために立たされた指導者たちを指しています。

そして、全体は、こんな否定的な題となります。

『牧者は羊の群れを養うべきなのに。イスラエルの牧者は災いでしかない。』

どうしてこのように言われるのかですが、こんな状況だったからです。

 ・指導者は羊の群れを養うどころか、羊を食い物にしている。

 ・指導者は、弱いもの、病めるもの、傷ついたものに何もしてやらなかった。

 ・指導者は、国を追われた者、いなくなった者を、連れ戻そうともせず、力ずくで残った羊の群れを支配したので、群れは散らされたままで、あらゆる野の獣の餌食となった。

 ・その結果、わたしの群れは、すべての山、地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もいない。

 神様の結論は、『34:8わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。』

と言う事です。

 イスラエルの指導者たちは、バビロンに連れてこられた人々を建設などの労役に駆り出して、利益を得て、よい生活をしていたという構図があります。バビロンの人々は、イスラエルから奪った財宝や、労働力を使って、ますます豊かになったはずですが、イスラエルの指導者たちも、イスラエルの労働力で、利益を上げました。しかし、イスラエルの指導者は、その利益を使って いなくなった者を探すことも、弱い者を助けることもしませんでした。そればかりか、かえって支配を強めて、イスラエルの人々を食い物にしている。このように、イスラエルの民に元の生活を取り戻すためには、指導者は誰一人汗を流さなかったわけです。ですから、イスラエルの民を助ける必要がありました。

 

 この酷い状態を神様は、「ご自身で変える」と約束します。9節から17節がその部分になります。先ほどお話ししたイスラエルの牧者が行ってきた事と、全く逆を神様自ら実行するとの約束です。

 ・神様は、イスラエルの牧者が民を食い物にすることを許さない。

 ・神様は、民を養い憩わせる。

 ・神様は、国を追い出された者を、連れ戻す。

 ・神様は、弱い者を強くし、強いもの(イスラエルの支配者)を滅ぼす。

 さて、この神様の約束は、その後どうなったのでしょうか?歴史的な事実だけを追ってみると、確かにバビロンはすぐに滅びてしまいます。しかし、捕囚された民は、それでも帰ることができませんでした。実際に帰ることができるようになったのは、ペルシャのキュロス王(キュロス2世)のとき紀元前538年です。その後、時間はかかりましたが、エルサレム神殿は何とか建て直し、そしてユダの王朝が新しくできました。しかし、ユダの王朝はイドマヤ人のローマ兵であったヘロデの謀略によって乗っ取られ、そしてローマの属国となってしまいました。そういう意味で、イエス様がお生まれになるまで、この神様の約束は実現してはいなかったのです。イスラエルの民の救いは、忘れられていたわけではありません。福音書には、この神様の約束がしっかりと意識されている事が書かれています。

マルコ『6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。』(並行記事マタイ9:36)こうして、飼い主のいない羊のような群衆をイエス様は養い始めていたのです。つまり、エゼキエルの預言は、イエス様を通して成就していたのです。そして、この預言には、続きがあります。

マタイ『10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。

10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。』

イエス様は、イスラエルの失われた羊を探して、ガリラヤ周辺の伝道のため、12弟子たちを派遣したのです。このようにイエス様の伝道は、最初から失われた羊たちへの伝道でした。それは、マタイの4章を読むとわかります。イエス様が最初に伝道した場所での記事です。

マタイ『4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。

4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。4:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。』(「」内はイザヤ9:0-1)

 このゼブルンとナフタリとは、異邦人のガリラヤ地方のことです。かつての12支族は、ユダ族とベニヤミン族を除いてすべて失われました。ガリラヤは、ゼブルン族の地であったガリラヤ湖畔であり、ナフタリは、ナフタリ族の地であったヨルダン川上流部分を指します。かつては、イスラエル北王国の一部とされていたのですが、完全にはイスラエルの領土にはなっていませんでした。実態としては、異邦人と混在していたようです。そしてさらに、アッシリアが北王国を滅ぼしたことによって、ガリラヤは取られてしまいました。そして南のユダ王国でさえも、バビロンによって、滅ぼされ人々が散らされてしまったのです。それでも、イエス様の時代には「形だけ、イスラエルの国を取り戻していた」のです。しかし、まだガリラヤ地方は、散り散りにされたままで、神様を知らない異邦人も多かったのです。そこへ、イエス様が現れます。イザヤは、その暗黒の地ガリラヤにイエス様の栄光が現れることを預言していたのです。

イザヤ『8:22 地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。

8:23 今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。[ 9 ]先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。』

 このように、イエス様の伝道は、最初からガリラヤでした。イザヤの「ガリラヤは栄光を受ける」との預言と、エゼキエルの『34:16 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。』との預言がイエス様の伝道によって成就したのです。すべては、神様がエゼキエルを通して約束し、イエス様による養いを、そして憩いをご用意されていたからです。こうしてイエス様を通して、神様は弱いものを顧みてくださいました。そして、これからも顧みてくださいます。約束までして、私たちを養ってくださいます神様に信頼して、神様に私たちをゆだねてまいりましょう。神様は、約束を守られる方です。神様を信じる。そこに平安があります。