使徒20:17-38

それでもエルサレムへ

  

    パウロの第三次伝道旅行で、帰る途中(エルサレムに献金を捧げに行く)パウロは、コリントからエフェソに向かうと危険なので、別のルートをとりました。そして、エフェソに近いミレトスの港にエフェソの長老たちを呼びます。その理由は、パウロが第3回伝道旅行のほとんどをエフェソで過ごしていましたが、エフェソの町にはパウロへの反感が満ちていて、命の危険があったからです。 

1.試練

 パウロの言う試練とは、ユダヤ人による迫害です。それは、もともとパウロが属していたユダヤの伝統を重んじるグループからのものです。特に異邦人をユダヤ人になってもらうのではなく、そのまま受け入れようとしたパウロに対して反発は強かったのです。そして、エフェソでは特に「アルテミス神殿の土産物」をパウロが冒とくしたこともありますので、ユダヤ人にとってもトルコ(エフェソ)にいるギリシア人にとっても、パウロは迫害の対象となっていたのです。ですから、パウロはエフェソに行くことを避けました。それだけではありません。パウロは、生きてエルサレムに行くことを神様に請願していましたから、エフェソで暴動に会うようなことは避けなければなりませんでした。なぜ、エルサレムに行きたいのかと言うと、直接的な目的は、エルサレムの教会に献金をするためです。その陰に隠れた、パウロの目的は、異邦人の取り扱いでした。エルサレム会議で、「異邦人への割礼」は求めないこと等が決まってアンテオキアの教会に伝達されていましたが、その後、エルサレムの教会から派遣された指導者は、その決定とは異なり、異邦人と食事もしない等エルサレム会議以前の状況に逆戻りをしていました。パウロは、伝道する先々で、同じように異邦人への指導で対立して、暴動を起こされ何度も死にかけています。それで、パウロは再びエルサレムを訪れて、主の兄弟ヤコブを中心としたエルサレム教会と直談判をしたかったのです。そして、その交渉の材料として、経済的に困窮していたエルサレム教会に献金を捧げるために、方々で募金を募っていました。

 そういった意味で、パウロを捕らえようとする暴動とエルサレムの教会は繋がっていたのです。どちらも異邦人の信徒をユダヤ人化(ユダヤの伝統的な習慣を守らせる)するべきだと言う立場をとっていますから、それを求めないパウロとの関係は、日々エスカレートしていきます。パウロは伝統的なユダヤ教を否定していませんし、律法も完ぺきに守っています。ですから、一方的に、ユダヤ教の旧主派と迎合しているエルサレム教会の問題だと言えます。パウロは、エルサレム教会に説得に乗り出しますが、ローマの総督に捕まってしまいました。試練を乗り越えることはなかったのです。そして、エルサレム教会はその後まもなく消滅します。(詳細不明、ユダヤ戦争前にエルサレムを脱出したと思われます。)

2.だれの血についても、わたしには責任がありません

 さて、パウロは誰の血を想定して、「わたしには責任がありません」と言ったのでしょうか? 考えられるのは、エフェソでの暴動とパウロ自身がエルサレムに行くことによって受ける迫害だと考えられます。どちらも、異邦人の信者に対し、ユダヤ人の風習に従ってもらいたい人々と、外見の律法の順守はするものの、それ以上に信仰の内面を大事にしたパウロとの抗争(一方的ではありますが・・・)であります。もちろん、どちらかが引けば、この抗争は存続することはないのですが、どちらも引きません。パウロは、神様からの御命令であると考えたと思われますから、そこにはパウロの責任はない(命令を実行する責任は認識しています)と断言したものと思われます。そして、むしろ神様の御命令を実直に行ったことを誇ります。

 そのうえで、パウロはこれからエフェソに起こることを予告します。

『20:29 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。20:30 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。』

 パウロは、エフェソの長老と会うのがこれで最後だと思っています。パウロ自身の流す血、そしてエフェソの教会がこれから受ける迫害や分裂を考えてのことです。そしてエフェソの長老たちに忠告するのです。

『20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように』

 イエス様に倣ってパウロが今まで行ってきたように、エフェソの教会にも「与える教会」であるように長老たちを励まします。それが、おわかれの時となりました。パウロは、そこでイエス様に祈りを捧げました。その祈りは、パウロのこれからの事ではなく、エフェソのこれからの事に捧げられました。

 「二度と会うことがない」と言うパウロは、すでに死を迎えることを覚悟しています。エルサレムの教会もパウロを歓迎しないことはわかっているのです。そして、各地で受けた迫害が、エルサレムでも起きることが予想されます。多くのパウロを訴える者がパウロを待っていたからです。