マタイ20:17-34

ヤコブとヨハネの母の願い 

 

1.イエス、三度死と復活を予告する

 

  イエス様が弟子たちに、受難と復活を話するのは、もう3度目です。いよいよ時が来たのです。しかし、弟子たちは泣き叫びもしなければ、諫めることもしません。この時点で弟子たちは、エルサレムで起こる出来事について、どのように想像していたのでしょう。十字架の出来事の時に、逃げてしまった弟子たちです。本当にその危険を感じていたのであれば、この時点で逃げていたのでしょう。つまり、弟子たちはエルサレムに向かう途中、ある意味「希望」を抱いていたのだと思われます。

 

 

 

2.ヤコブとヨハネの母の願い

 

王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。

ゼベイの子たちは、その母にイエス様は王座におつきになると話していたのでしょう。これが先ほどの箇所の答えでもあります。実際に、迫害を受けることなど、ヤコブとヨハネは考えていなかったと思われます。また、ヤコブとヨハネの母も危ないと思っていたならば、イエス様についてきていたのでしょうか? この箇所を見る限り、息子たちをイエス様の王座の左右に座らせたいと考えているのです。12弟子の中で最もイエス様に近い関係であることを知っているからです。


後の者が先になる。ペトロが早くからすべてを捨ててイエス様に従っているのだから、なにか良い事があるのでしょうか?などと聞いた関係で、その続きがこの記事になります。今度はヤコブとヨハネです。ぶどう園のたとえで、後の者が先になると 弟子たちは聞いていたのですが、まだ理解ができていなくて、イエス様の右と左のポジションに座ろうとしているのです。しかし、イエス様は、言われました。

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、20:27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。

 「偉くなりたいなら仕える者になりなさい」すなわち「仕える者が偉く」です。これは、「後の者が先に」と同じようなイエス様の出した答えです。

 

3.二人の盲人をいやす

 

 エルサレムの真近のエリコに来て、多くの群衆がイエス様に従いました。多くの期待があったのでしょう。それを象徴するように二人の盲人もいやされることを期待して叫びました。群衆は、その二人を顧みるどころか、しかりつけて黙らせようとします。群衆の考えている期待にマッチしない邪魔な存在だからでしょう。しかし、イエス様にとっては群衆の期待することではなく、この二人の盲人の方を顧みられます。そして、癒されました。その二人の盲人もイエス様に従いました。今度は、イエス様の何に期待したのでしょう?残念ながらこの二人の盲人がその後、十字架の出来事の時どこで何をしていたのか?聖書には書かれていません。治りたかった二人、そして群衆は何を望んでいたのでしょう。イエス様は、群衆に「革命を起こしたいのか?」等群衆の期待を聞いていませんが、この二人の盲人には「何をしてほしいのか」と聞いています。イエス様らしいですね。