マルコ11:1-11

子ろばのように

2022年 4月 10日 主日礼拝

子ろばのように

聖書 マルコによる福音書 11:1-11           

 おはようございます。今日からが受難週となります。また、今日は棕櫚の日曜日です。今日の聖書の箇所にありますように、イエス様のエルサレム入城を記念した日です。また、棕櫚というのは椰子のことで、イスラエルではどこにでも生えているナツメヤシのことです。イエス様のエルサレムへの入城のときに人々が、野原にあったナツメヤシ(ヨハネ12:13)から枝を折って道に敷いたことから、棕櫚の日曜日と呼ばれています。(ちなみに、棕櫚というのは日本では「ワジュロ」のことを指しています。イスラエルでは、ナツメヤシは生命力の象徴であります。)そして、道に敷くために使われたのは枝とはありますが、「木」の部分は使わないで、葉っぱの方だけを藁のように敷いたのです。つまり、ユダヤの王を迎えるために、そこにある物で即席の絨毯を作ったわけです。まず、自分の着ているマントを広げて、そしてわらのように棕櫚の葉を敷き詰めました。マントを敷くのは、王様に従うことを示しますし、(列王記下9:13)即席の絨毯は王様として迎えるための歓迎を示します。イエス様は、エルサレムに入った時、人々は「イスラエルの王様がやってきた」として歓迎しました。たぶん、人々はイエス様がローマ兵を追い出してユダヤ民族の独立や、ローマからの解放をしてくれると考えていたのでしょう。イエス様が神様のご計画を成就するために十字架にかけられることなどは、人々は知るわけもありません。

 イエス様が、オリーブ山のふもとのベトファゲにさしかかりました。ベトファゲは、イエス様が宿泊したベタニアよりエルサレムに近い村です。死海の北側の町エリコからイエス様が移動してきていますから、その街道沿いにあるベトファゲを通って、イエス様はエルサレムに入城します。このときに、子ろばを使いたかったのです。イエス様は、その日マルタとマリアの兄弟であるラザロがいるベタニア(15スタデイオン(15×185m≒2.5km)離れた村)に泊まりますが、エルサレムとベタニアの移動に子ろばは使いませんでした。エルサレム入城の時だけ子ろばに乗ったのは、こんな預言があるからです。

ゼカリヤ『9:9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。』

イエス様は、イスラエルに勝利を与えるために、エルサレムに上ってきたのです。ですから、この預言を成就させる必要があったのです。エルサレムに入城するために、直前の村で子ろばを手配します。エルサレムの人々のイエス様への期待の表れでしょうか。子ろばは、すぐに見つかり、そして借りることができました。ろばは、イスラエルでは普通にろばを家畜として飼われていましたので、旧約聖書にも乗り物としてたびたび登場します。王様が乗るならば4頭立ての馬車など豪華に飾ったものがふさわしいです。しかし、イエス様は子ろばを用意させました。王様が乗るには、ろばではみすぼらしく感じがするかもしれませんが、ここに書かれてるのは若い(4歳以下)「雄のろば」でありますから、くたびれた感じではなくて、さっそうとしていたと思われます。そして、だれも乗ったことがないろばであることが大事だったのでしょう。新しくイスラエルの王となるイエス様は、誰も乗ったことがない子ろばを用意させたのです。二人の弟子が子ろばを連れて戻ってくると、自分たちが来ていたマントを脱いで、子ろばの上に敷きました。マントを敷くという行為は、「従属します」との意思表示でもあります。子ろばに乗ったイエス様を見たエルサレムの町の人々は、イエス様のエルサレム入城を歓迎します。

 イエス様がエルサレムに入城することを知った町の人々は、町から出てきて、イエス様を歓迎するためにマントを広げて道に敷きました。また、ナツメヤシの枝から葉の部分をとって、道に敷き詰めます。こうして、ユダヤの王としてイエス様はエルサレムに入ったのです。大勢の人々がイエス様を先導し、そして後ろからもついてきました。そして、皆はマントを道に敷いてイエス様に従属を誓ったわけです。このようにして、エルサレムに入城したときには人々の期待を集めたのでした。その評判については、イエス様が教える場面ではいつも人々がついてきていますから、人気があったのは確かです。またベタニア村でイエス様が「死んだラザロを生き返らせた」ことから、人々はラザロを見に集まったとの記事もあります。(ヨハネ12:9~11)実際に、イエス様を信じた人が多かったのです。また、敵対しているように見える最高法院の議員にもイエス様を信じる人がいたようです。ヨハネによる福音書の12章にこんな記事があります。

ヨハネ『◆イエスを信じない者たち

イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。

12:37 このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。12:38 預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」(イザヤ53:1)12:39 彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。12:40 「神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」(イザヤ6:10)12:41 イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。12:42 とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。12:43 彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。

 

 これらの記事によりますと、エルサレムの町はイエス様を信じる人々と信じない人々に割れていたことがわかります。イエス様を信じる人々は、イエス様の奇跡の業や言葉によって信じるようになりました。そしてイエス様を信じない人々を神様は、「目が見えないように、心もかたくなに」しました。そうすることによって、イエス様の命は狙われるようになります。同時に、イエス様は、神様の御計画、十字架の死と復活を受け入れるよう祈っていましたから、ファリサイ派の人々の仕掛ける論争でも、毅然とした態度で臨みました。人々は、そんなイエス様を見つけると教えを聞こうとして集まります。その光景をいつも見ているファリサイ派の人々は、むなしくなるのでしょう。ますます、心がかたくなになっていきます。こうして、エルサレムにイエス様が入城したときから、十字架の出来事にむかって神様のご計画が進んでいったのです。

 

 エルサレムに入城したイエス様を熱狂的に迎えた人々は、イエス様が捕まった後では、イエス様を「十字架につけろ」と訴えました。手のひらを反すような出来事でした。人々は、強いものが大好きなのか、勝ち馬に乗ってしまうのかもしれません。捕まってしまったイエス様には、もう何も期待できなかったのでしょうか?それとも、そこで何か奇跡が起こることを待っていたのでしょうか? しかし、何事も起こりませんでした。その姿は、いつもの奇跡を起こすイエス様、いつもの知恵と愛にあふれる言葉で教えるイエス様とは思えないものでした。ある意味期待を裏切られた、人々は、イエス様を「十字架につけろ」と叫びます。 期待の大きかった分だけ、失望も大きかったのです。もちろん、これも神様のご計画であります。人々は、ここで信仰を失ったのではありません、イエス様の十字架の出来事と復活を通して、本当にイエス様を信じるようになる準備の時だったのです。イエス様の十字架の贖いがあったからこそ、私たちは罪が許され永遠の命に与ることになるからです。

 

 エルサレム入城の時に人々は、「ホサナ」と叫んで、イエス様を熱狂的にエルサレムに迎えました。ホサナとは「どうか、救ってください」という意味のヘブライ語です。

『「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」』

ホサナと叫んだことから、イエス様のことを救い主と信じていることが現れています。そして、神様によって遣わされた方と認識していることがわかります。ダビデの王国は、無くなってしまいましたが、ダビデの家から救い主が出ることが伝承されてきましたから、イエス様の起こす奇跡の力を見て、イスラエルの再建とローマからの解放を夢見ていたのかもしれません。・・・この時のローマ総督であるピラトは、いろいろとユダヤ教を侮辱するような事をしましたので、ローマとの関係は大変悪かったのです。また、偽者の救い主たちが現れては、消えていました。聖書には、使徒言行録にその記事があります。パウロの先生であるガマリエル議員の発言です。

使徒『5:36 以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。

5:37 その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。』

 

 人々は、このテウダやガリラヤのユダが起こしたような反乱を期待していたことがうかがわれます。力によって、国を取り戻そうとするものです。このような、救い主を望んでいた人々ですから、祭司長たちの手先に捕まってしまうようなイエス様には、期待外れだったのだと思われます。

 

 イエス様は、そもそも力で国を治めるためにこの地上に降ったわけではありません。ろばのように人の重荷を背中に負うために来られたのです。ですから、イエス様がエルサレムに入城するとき、4頭立ての馬車ではなく、ろばだったのです。馬車に乗って、人に仕えられるのは、イエス様にふさわしくありません。イエス様は、人々に仕えるために、そして私たちの重荷を背負うためにやってきました。ですから、私たちの罪をその背中に背負うために、十字架にかかるために、今エルサレムにやってきたのです。そうしないと、私たちが罪に沈んでしまって、赦されることができないからです。神様は、この私たちの罪をイエス様にその全部を負わせました。そのために、私たちを救うために、イエス様をこの世に降さりました。イエス様は、この十字架の時が迫っていることを知っています。ですから、イエス様は、神様に祈っていたのです。「み旨の通りになりますように」そして、今は歓喜してイエス様を迎えている人々が、やがてはイエス様を「十字架につけろ」と叫ぶのを知っておられました。しかし、この「十字架につけろ」と叫ぶ人々の一人一人の救いのために、イエス様は十字架にかかられたのです。イエス様の十字架によって、多くの人々がイエス様を信じることになりました。こうして、イエス様の尊い犠牲の上に、私たちはイエス様を信じる信仰が与えられました。

 この受難週で、ぜひイエス様の十字架を覚えて、祈ってください。一日に一回で結構です。そして、来週はイースター。イエス様の復活を喜んで迎えましょう。