エゼキエル書2:1-10

エゼキエルの召命 

 

エゼキエルは、バビロンに捕囚されて、ケバル河畔に住んでいた頃に、神の召命を受けました。エゼキエルは、神様からの召命を受けた日に、主の言葉に接しました。

このときエゼキエルは、ヤハウエから「人の子」と呼びかけられています。この呼び方は、後の時代のメシアが「人の子」と自身のことを呼んだのとは異なり、圧倒的に弱い人間にすぎない事実を指し、神様の「僕」としての立場を指すものです。この呼び方はエゼキエル書に何回も出てきます。

神様はエゼキエルに、

『自分の足で立て』(2章1節)と言われました 。

「自分の足で立つ」とは、主の声に聞く者であり、かつ自立して生きる人間となることを意味します。その自立した信仰は、エゼキエルの努力の結果えられたものではありません。それは、神様の恵みの力によって得られたものです。

『霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた』(2節)とありますので、

エゼキエルは、神様の命令と導きを受けて、立つことができたのです。

エゼキエルが遣わされるのは、「恥知らずで、強情な人々」で、「反逆の民」といわれるイスラエルの民です。この民は、ずうっと主に背き続けました。神様から見て、いつまでも従おうとしないイスラエルの民は、強情な民だったのです。神様はエゼキエルに命令します。

『あざみと茨に押しつけられ、蠍(さそり)の上に座らされても、彼らをおそれてはならない。』(2章6節)と、これからエゼキエルに起こるイスラエルの民による困難がすでに、伝えられています。

たとえ、そのような事態になっても、エゼキエルは、

『彼らの上にたじろいではならない。』、

『彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない』(2章7節)

と命ぜられています。

預言者は、自分が来ることを喜んで迎える相手にばかり遣わされるのではありません。

エゼキエルが遣わされたのは、むしろ頑固で、反抗的な人々のところです。アモス、ホセア、イザヤ、エレミヤ、いずれの預言者も聞き入れなかった民に向かって、神様の御言葉を語るよう命令されたのです。

預言者は、どんな時も語らねばなりませんでした。神様は、そのために預言者を立てたからです。時代時代の民の声に耳を傾けるために遣わされているのではなく、神様の言葉に民が気づくために、預言者は語らねばならないのです。そのことが預言者エゼキエルの務めでありました。

そして、エゼキエルが直面する困難と希望が何であるかを明らかにするため、主はなお一つの幻をエゼキエルに見せます。

エゼキエルは、

『口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい』(2章8節)

と神様から命じられています。彼に与えられたのは、表と裏に文字が記された巻物でした。

『それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった』(2章10節)と言われています。

苦く、聞くに辛い言葉を、民に先立って先ずエゼキエル自身が、お腹の中におさめなければならなかったのです。

 神様の言葉を語るのですから、その御言葉を腹におさめていないと説得力がないからです。

当時、文字はパピルスでできた巻物に書かれましたが、文字は表だけに書かれるのが普通です。裏は文字を書くのに適していなかったからです。

エゼキエルに示された巻物には、表と裏の両面にぎっしりと御言葉が記されていました。神様がエゼキエルに託したみ言葉は、一つの巻物で収まりきらない多さだったのです。


(参考)

エゼキエル:その生涯について、エゼキエル書以外に記載は無く、そのエゼキエル書も個人的な記述が非常に少ないために不明な部分が多い。

わかっていることは、エゼキエルは祭司であり、父親をブジと言い、捕囚民の長老たちから相談を受ける存在であったこと。ですから、おそらく祭司の家系であっただろうと言うことです。

 また本人の活動そのものもあまり書かれていないので、分かることはあまりありません。紀元前597年の最初のバビロン捕囚で強制移送された一人で、バビロンのケバル河畔のテルアビブの難民社会に住んでいたこと。また、妻がエルサレムの陥落前夜に亡くなった事ぐらいです。