マタイ4:1-17
試されるイエス様
悪魔から、イエス様が試されます。そして、悪魔は試すどころかイエス様に罪を犯させようとまでしました。
その結果悪魔は退散して、イエス様はガリラヤに向かい、伝道を始めしました。
1.空腹
「石をパンに?」悪魔は、そういって誘惑します。もし、石をパンにしたならば、神の子である力を
世のためにではなく、自分の空腹を満たすために使うことになります。イエス様は、そのような
ことを、される方ではありません。そして、お腹を満たすことも大事ですが、主の言葉によって
生かされていることも大事です。イエス様は、出エジプトでのマナを降らせた出来事を例に挙げました。
その聖書の箇所が、申命記です。
申命記『8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせる
ためであった。』
2.神殿の屋根で
悪魔は、飛び降りてみたらどうか?と イエス様をそそのかします。
その根拠は、詩編にあるダビデの歌でした。
詩編『91:11 主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る』
この箇所を部分的に切り取って、「神様が助けてくれるだろうから、試してみなさい」と言う悪魔の誘惑です。
そもそも、神を試すことは、マラキ書以外では、認められていません。
マラキ書『3:10 十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、
わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き
/祝福を限りなく注ぐであろう。』
参考までに、申命記には「主を試してはならない」と明確に書かれています。
申命記『6:16 あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。』
(具体的には、出エジプト17:1-7を参照ください)
3.わたしを拝め
悪魔は、この世の全てを与える代わりに、「わたしを拝め」と言います。
神でないものを礼拝することは、許されません。(神でないものを礼拝すると、罪を犯すことになります。)
申命記には、この様に神様から戒められています。
申命記『6:13 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。』
4.ガリラヤへ(いったい何で、ガリラヤなのでしょう?)
イエス様は、バプテスマのヨハネが捕まったので、ガリラヤ(湖)に向います。
ゼブルンはヤコブの10子。ナフタリは6子。それぞれが、12氏族の祖でした。
ナザレはガリラヤ湖の西側ゼブルン族の嗣業。カファルナウムは、ガリラヤ湖の北岸でヨルダン川が流れ込む
ナフタリ族の嗣業です。
ゼブルンの子孫は、ガリラヤ湖西岸に入りましたが、カナン人を追い出すことが出来ませんでした。また、
ナフタリの子孫はアッシリアに負けて捕囚されているので、どちらの土地も異邦人が多い地方です。
イエス様の伝道は、そういう場所から始まりました。