エゼキエル書13:1-23

もはやむなしい幻を見ることもなく 

1.わたしが 語っていないのに

イスラエルには預言者がたくさんいたようです。預言者とは、神の啓示を受け,神の名によって語る人を指します。その預言者が、『主は言われる』と語りながら、実に神様が語っていないことを預言していると神様がエゼキエルに言うわけです。これでは、預言者ではなく偽預言者としか言いようがありません。偽預言者は、どうしてそのような事を預言するのでしょうか? 神様が語っていないことを語っているのであれば、それを語ったのは誰なのでしょうか?偽の預言者自身か、偽預言者にそのような指示をしている人がいるということだと思われます。語っていること自体が、根拠がないことです。そうであれば、イスラエルの民を脅すか、喜ばすかを選べば、食べていくには困らなかったでしょう。でっち上げで民の心理をもてあそびながら、それがばれないように成就するまで預言し続けるのです。そして、それがイスラエルの民にとって何になるかと言えば、何の役にも立ちません。

2.漆喰を上塗り

 むなしい幻を見る預言者たちと、欺きを占う占い師たちは、イスラエルの民にも入れられず、イスラエルの土地に入ることも出来なくすると神様は言われます。そうすると、私が主であることを知る様になるだろうとも言われました。

 平和でないのに「平和だ」と偽預言者は言います。それは、壁の下塗りが出来ていないのに、仕上げの漆喰を塗った壁と同じです。そもそも、平らではないので、乾き方が均等になりませんからひび割れてしまいます。そればかりか、壁の強度を出す下塗りが無いので壁がたわみやすく、すぐに割れてしまいます。豪雨や突風に耐えられない、お化粧部分だけを漆喰で上塗りしても、そのような事は時間と共にばれてしまいます。それなのに、なぜ空しい幻を見て嘘の預言をするのでしょうか?

3.すべてを破壊する

 神様は、爆風を起こし、豪雨を降らせ、雹を石の様に降らせ、その漆喰の壁すべてを壊すと言われます。つまり、平和でないのに平和だという意識を無くさせるような、平和でない出来事に直面させるということです。この神様の言葉をエゼキエルに預けることによって、偽の預言者へこのように伝えさせるのです。

『災いだ、人々の魂を捕らえようとして、どの手首にも呪術のひもを縫い付け、どんな大きさの頭にも合わせて呪術の頭巾を作る女たちよ。お前たちはわたしの民の魂を捕らえ、自分たちの仲間の魂を生かしておこうとする。13:19 お前たちは、ひと握りの大麦とひとかけらのパンのゆえに、わが民の前でわたしを汚し、欺きの言葉に聞き入るわが民を欺くことによって、死ぬべきではない者を殺し、生きるべきではない者を生かしている。』

4.わが民を救い出す

 神様は言われます。これは預言者エゼキエルを中心としたイスラエルの国家再興の業を始めるとの宣言でもあるのです。→ 神を信じる民の魂を呪術のひもでとらえたが、そのひもを引きちぎり、偽預言者たちが捕らえた民の魂を解き放つ。頭巾もそうである。今後二度と民の魂を捕らえることが出来ないようにしよう、神に従うものを苦しめ、神に逆らうものの手を強めることがないように。だから、もう偽預言者たちと占い師たちは、幻を見ることはできなくなり、神様が主であることを知るようになるだろう。