使徒16:1-15

幻に導かれ

第二回伝道旅行

AD49年にパウロは、伝道旅行に出ます。コースはアジア州を避けて北周りでしたが、現在のイスタンブールを経由するのではなく、海路をとったわけですが、具体的にはマケドニア人への伝道の幻が与えられます。


.聖霊とイエス様と幻

 アジアから海を越えてヨーロッパ大陸に初めての福音の宣教です。使徒15章では、エルサレム会議では、「救いに、割礼は必要ない」ことの同意が取れました。パウロたちはその結果を持って、アジア州各地を伝道する予定でした。 

ところが、『アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた』わけです。

パウロはこの伝道旅行のために、シラスと弟子テモテを連れていく準備をしていました。 「救いに、割礼は必要ない」ことを主張したパウロですが、父がギリシャ人である異邦人テモテに割礼を受けさせてまで、ユダヤ人伝道のための配慮をしていたのです。

(注:パウロは、異邦人伝道のための使徒とされていますが、まだこのころは伝道の主体はユダヤ人伝道でした。この後にコリントに伝道するわけですが、その時にパウロは異邦人の伝道者となる事を決心しています)

パウロの伝道計画は、大幅に変更になりました。アジア州がだめならば、北へと進むわけです。 そこでも、「イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。 それで、ビチニア州に入ることをあきらめ、パウロ、シラス、テモテ、そして福音書記者のルカの一行は、西に向かったわけです。 彼らは、その地に滞在して伝道するとか、引き返すとかいう事は選びませんでした。ユダヤ人伝道に対する召命がそうさせたのだと思われます。 

 パウロはアジア州に続き、ビチニア州でも「み言葉を語ってはならない」という聖霊の声を聞いたのです。パウロは二度にもわたって、神の声に聞従って行き先を変更しています。 その時、パウロは一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州にわたって来て、わたしたちを助けてください』と願う「幻」を見ました。 パウロは、その伝道が赦される時が来たと思いました。パウロは『神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったから』、トロアスの町経由でマケドニアのフィリピに向かったわけです。

.フィリピで 

フィリピでの活動ですが、わずか数日間で、パウロたちはすぐに投獄されてしまいます。しかし、捕まるまでの間は、多くの恵みの収穫があったようです。フィリピには、ユダヤ教の会堂が無かったようです。『祈りの場所があると思われる川岸に行った。』とありますその場所すら分からないということですから、やはり急な目的地変更で、準備が足りなかったのでしょう。しかし、ユダヤ人はマケドニアのようなローマの属国の中にもたくさんいたのです。

そこには、婦人方がいましたが、中にはアジア州のティアティラ(ユダヤ人が多く住んでいた街)出身の紫布(むらさきぎれ)の商人がいました。紫の色は、貝紫(巻貝から取れる)で染めるのですが、一枚の衣服を染める為には多くの貝が必要になり、手間暇かかるので非常に高価なものとなるそうです。ですから、高級品を取り扱っている商人で、裕福なのでしょう。そのリディアと言う名の婦人は、パウロの話を聞いて、信じ、彼女も家族もみなバプテスマを受けました。こうして、聖霊とイエス様の導きによって、異国の地マケドニアの大きな町で、伝道の拠点ができたのです。