使徒9:20-31

サウロの伝道開始

 

1.サウロの伝道開始


サウロは、ダマスコで回心をしました。これまで、キリスト教(このころは、まだキリスト教とは呼ばれていません)を迫害してきた張本人であるパウロは、ダマスコの近くでイエス様に出会い、生き方を180度変えました。サウロとはヘブライ語の名前(初代イスラエル王のサウルと同じ名前)ですが、後にギリシア語名であるパウロス(Παῦλος)と名乗ります。ギリシア語を話すユダヤ人や、異邦人への伝道を進めましたから、使う言語はギリシア語だったので、名前も見直したものと思われます。

ところが、急にイエス様のことを述べ伝えるものですから、サウロが迫害を主導していたことを知っている多くのクリスチャンは、驚きを隠せません。そもそも、サウロがダマスコにやってきたのは、クリスチャンをサウロが迫害したために、エルサレムからクリスチャンがいなくなってしまったからでした。サウロは、大祭司の許可を得て、そのクリスチャンが多く集まっているダマスコの町でクリスチャンを捕まえようとしてやって来たのです。

このことを知っている、クリスチャン達は驚きますし、ダマスコにサウロと同じ目的でやってきたユダヤ人もサウロの教えにうろたえました。クリスチャンを捕まえに来たはずのサウロが、イエス様のことを力強く証しするものですから、何が何だか分からなくなったのだと思います。

 

 

時間がたつと、ダマスコに来ていたユダヤ人たちは、サウロがキリスト教側に寝返ったと認識して、サウロの命を狙う事を企みました。それは、まさにサウロがダマスコでキリスト教を迫害しようとしていた趣旨に沿って、その首謀者であったのが寝返ったサウロを殺そうとしたわけです。それを知った、サウロはダマスコを脱出しエルサレムにいる使徒たちに助けを求めたいのですが、ユダヤ人たちは、ダマスコの町の門でサウロが出てくるのを、昼も晩も見張っていました。ダマスコの町の中では大きな騒ぎを起こせなかったので、連れ出して乱暴をする計画だったと思われます。そこでサウロの弟子たちは、ユダヤ人に見つからないように、夜に城壁からサウロを逃がしました。

 

2.サウロ 使徒に会う

 

 エルサレムに戻ったサウロは、弟子の仲間に入ろうとします。しかし、これまでさんざんキリスト教を迫害してきたサウロです。だれも、サウロを真にイエス様の弟子だと受けとめるわけがありません。そこで登場するのがバルナバです。バルナバとは「慰めの子」という意味で、使徒たちがそのように呼んでいました。彼は、迫害者サウロ(後にパウロ)が回心し、まだキリスト教徒になったばかりで、エルサレム教会の人たちに恐れられていたとき、サウロを使徒たちのところに連れて来ました。バルナバを通して、サウロの身に起こったことを説明したことで、エルサレム教会の人々の恐れを取り除いたのです。

 こうして、サウロは使徒たちの教会の仲間になりました。そして、エルサレムで主イエスの名で教えました。過去にサウロたちが使徒たちに禁止したことを、サウロ自らが大胆にそれを破って宣教したわけです。当然キリスト教を信じていないユダヤの人々は、これを面白く思うわけがありません。ギリシア語を話すユダヤ人は、サウロ自身もギリシア語を話すユダヤ人だったので、その伝道の対象となったのでしょう。しかし、彼らはサウロを殺そうと狙っていました。確かに、サウロはユダヤ教の主流派から見ると、裏切り者であります。そして、イエス様の名によって語ることは、神様の権威が大祭司やファリサイ派の人々にあった今までの秩序を 壊すものです。そういう意味でサウロは狙われたのです。サウロが狙われていることを知った使徒たちは、サウロをその生まれ故郷であるタルソスへ送りました。

 ここで、不思議なのは、使徒たちではなくサウロが命を狙われたことです。使徒たちは、サウロの迫害の時、エルサレムから逃げていませんし、安全にエルサレムに住んでいました。そして、サウロが回心した後も、安全にエルサレムに住んでいます。サウロの迫害も、キリスト教を信じたギリシア語を話すユダヤ人に限られていたようです。使徒たちは、群衆に尊敬されていたので、最高法院も手を出せなかったのだろうと思われます。そこに、サウロが目立っていたのでは、サウロに攻撃が集中することは、容易に想像できます。そういう理由で、遠くにサウロを逃がすしかなかったと思われます。