創世37:12-28 

主の備え

2021年912日主日礼

主の備え

 聖書 創世記37:12-28

  

(参考)ヤコブの12人の子供たち(他にレアの子 姉ディナが聖書に出てくる)

◆レアの子  ルベン シメオン レビ ユダ イサカル ゼブルン

◇レアの召使(ジルパ)の子     ガド アシェル

◆ラケルの子    ヨセフ ベンジャミン

◇ラケルの召使(ビルハ)の子     ダン ナフタリ

 ・・・

 

今日は、創世記からヨセフの物語です。ヨセフは、ヤコブの11番目の男の子でした。ヤコブは、叔父ラバンのところで長年働く代償として、ラバンの娘レアとラケルを妻にしました。妹のラケルはなかなか子供を授からなかったので、ラケルの最初の子ヨセフは「年寄り子」としてヤコブにかわいがられて育ちました。父ヤコブがヨセフばかりをかわいがるものですから、兄たち特にレアの子たちは、ヨセフを憎むようになっていました。今日の聖書の箇所は、ヨセフが17歳の時の記事です。ヨセフは、兄たち(ラケルの召使の子、レアの召使の子)と羊を飼っていた(創世記17:2)のですが、レアの息子たちとは別の群れを飼っていたようです。ヨセフの母ラケルはベンジャミンを生んだ時に死んでしまったので、幼いベンジャミンとヨセフは、レアの召使であったジルパの息子たちと一緒にいました。ラケルの召使のビルハのところには置きませんでしたし(35:22の記事から預けられない?)、ましてやレアの所には預けられなかったからです。ヤコブは、レアではなくラケルを愛しましたから、レアは神様にヤコブの愛情を求めて祈っていました。そんな関係でしょうか、レアの子供たちは、ヨセフのことを憎んでいました。

ヨセフは、父ヤコブ(ここではイスラエルと呼ばれている)とヘブロンの地に住んで、羊を飼っていましたが、レアの息子たちはシケムと言う場所で羊を飼っていました。それは、シケムが肥沃な土地だからです。また、シケムでは他民族との衝突がなくて、比較的に平和だったのだと思われます。シケムはヘブロンから北へ100kmほどの所にありますので、レアの子供たちはヤコブから離れて、暮らしていたということになります。もちろん、羊は草をどんどん食べて行きますので、羊が多ければ羊飼いは草を求めて移動していきます。ヨセフは父ヤコブの羊の一部を飼っていましたが、父の代わりにシケムのあたりにいるはずのレアの息子たちとその羊の群れを見に行くことになります。1世紀のユダヤ人歴史家であるフラウィウス・ヨセフスの書いたユダヤ古代誌によると、レアの息子たちの消息が知れないので、無事かどうかを調べさせるためでした。この当時のことですから、一定の所にとどまらない羊飼いを探すのはかなり困難です。シケムに着いてみても兄たちは見つかりませんから、人づてに情報を聞きだし、20kmほど北に行ったドタンで兄たちに出会います。ドタンとは「二つの井戸」と言う意味だそうです。自然の泉が多く水が豊かにあって、たとえ干ばつがあっても、牧草が得られる土地だそうです。ヨセフが兄たちを見つけると、このレアの息子たちは、ヨセフが一人で来たことを知って殺そうとします。なぜなら、レアの息子たちは、ヨセフを憎んでおり、そしてヨセフが族長を継ぐ日がやって来ないように、神様に祈っていたからです。その結果ヨセフは、殺されはしませんでしたが、ドタンの土地の枯れた井戸に落とされてしまいました。レアの息子たちは、神様が彼らの祈りをお聞きになったと考えたので、このヨセフが一人で来た機会に行動を起こしたのです。

父ヤコブは、レアの息子たちがヨセフを恨むその原因を作っていながら、ヨセフばかりかわいがっていました。兄たちが嫉妬して問題がおこると思っていなかったのでしょう。普段から、ヨセフにだけ晴着を着せ、特別扱いをしていました。そして、今度は、父ヤコブの代わりに一人で様子を見に来たのです。長男ルベンは、本当であれば族長となるはずの跡取りです。レアの息子たちはすでに30代になっているルベンではなく、17歳のヨセフがヤコブの後を継ぐだろうと感じていましたので、不満を持っていました。そして、ヨセフ自身も不用意でした。ヨセフが見た夢のことを兄弟たちに話してしまっているので、さらに恨みを買っていました。

その夢とは、この2つです。

『37:7 畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」』

『37:9 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」』

 

これは、11人の兄弟ばかりか、父ヤコブとその妻レアまでもが、ヨセフにひれ伏すという、予告です。ヨセフが族長を引き継ぐと言う予想をはるかに超えて、衝撃が走ったと思われます。ヨセフ自身空気を読めなかったのでしょう。こんなことを言ってしまっては、ますます憎まれてしまいます。

 

この部分を先ほどの歴史家フラウィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌には、分かりやすく解説してあります。まず、最初の夢についてです。

『兄たちは、ヨセフの見た夢が将来彼に与えられる権力や主権、および自分たちにたいする首長権(族長権)を予告したものであることを直ちに了解した。しかし彼らはそのようなことはおくびにも出さず、自分たちには意味が分からぬと答えた。そして、自分たちの予測が絶対に実現しないようにと神にひそかに祈り、彼にたいする憎しみを一段と強めた。』

兄たちにとっては、このヨセフの夢による予告は、とても受け入れられないことであり、そして避けて通りたいことだったのです。

 

そして、二番目の夢については、神様が兄たちの嫉妬をしりながら、ヨセフに見せたとしています。そして、ヨセフの夢を聞いた父ヤコブの反応が書かれています。

『彼はこの幻影を、兄たちの同席しているときに、父に語った。兄たちに悪意があろうなどとは露ほどにも疑わず、ただ父にたいして、その意味を説明してくれるようにと頼んだのである。ヤコブは、この夢の話を聞いて喜んだ~(中略)~ヤコブは、月と太陽が母と父を意味すると解き明かした。~(略)』

聖書には、ヤコブは心に留めた(創世記37:11)程度に書かれていますが、ヤコブは願っていることが叶うとの神様からのメッセージだと受け止め、喜んでいたのです。

 

こんなことがあったので、ヨセフを見つけた兄たちは「夢見るお方」と皮肉っています。そして、父ヤコブの目の届かないところで、ヨセフを殺そうと相談をし始めます。ヨセフの見た夢がかなわないようにすることは、ここでは簡単にできてしまうし、それを神様に祈ってきたからです。どれだけ、憎んでいたかということですが、ヨセフも父ヤコブもその憎しみや、嫉妬に対しては鈍感でした。兄たちの立場への配慮などあまりしなかったのです。無防備なヨセフは命の危険にさらされます。しかし、長男のルベンは井戸の穴に落としておいて、直接には殺さないように提案します。直接殺しては、罪を犯すことになるからです。兄弟たちも、ルベンの説得を受け入れました。しかし、ルベンが羊の世話のためにその場をはなれている間に、ヨセフはエジプトに向かうイシュマエル人の隊商に売られてしまいました。ヨセフを殺さなくても、ヨセフが族長になる可能性がなくなれば良いだけの事に気が付いたからです。こうして、ヨセフは奴隷としてエジプトに売られたのでした。売ったのは、レアの4番目の息子であるユダです。銀貨二十枚でヨセフを売りました。そして、父ヤコブには最愛の息子ヨセフが死んだと言って嘘をついたのでした。

 

これで、ヨセフの人生は終わったわけではありません、後にそのヨセフを通じてイスラエルの民が大飢饉から救われることになります。そして、神様はモーセを用いて約束の地であるカナンにイスラエルの民が戻ることを実現しました。これは、イエス様がイスカリオテのユダによって銀貨三十枚で売られ、十字架に掛けられ復活し、私たちに救いを齎したことによく似た構図です。どちらも、気の遠くなるような神様のご計画なのです。一人一人の登場人物が起こす出来事すべてが、そのご計画が成就するために必要だったのです。大飢饉は、アブラハムの時にも、イサクの時にもありました。アブラハム、そしてイサクは神様によって助けが与えられ、飢饉の困難から救われていたのです。そして、ヤコブのときには、神様はヨセフを用いてイスラエルを大飢饉から救うのでした。神様は、この時のためにあらかじめヨセフをエジプトに送り、そしてヨセフを鍛え育て、エジプトの宰相にしていたのです。そして、その結果。長い飢饉で、食料を買うお金が無くなってしまったすべてのエジプトに住む民を ヨセフは奴隷にしてしまうのです。

 

このように、創世記の記事から見るとヨセフのおかげでエジプトの王様は栄えたと思われます。しかし、実は、ヨセフが宰相であったことを裏付けるエジプト側の資料はありません。また、ヨセフの墓も見つかっていません。そもそも、聖書では最も大きな出来事の一つであるにもかかわらず、出エジプトの記録がエジプトにはないのです。記録がないのは、ちょうど第15王朝から第16王朝がヒクソスと呼ばれるアジア系の王朝のためと考えられています。ヒクソスの王朝には独自の文字が無く、文字があまり使われなかったものですから、ヨセフが宰相になった記録も無いということでしょう。しかし、文字の記録はありませんが、第15王朝の壁画には、明らかにユダヤ人とわかる人物が多数描かれていますから、この時代にヨセフがいた可能性は高いと思われます。このころは、エジプトは統一されていませんでした。エジプトを統一したのはツタンカーメン王で知られる第18王朝(17王朝がエジプト統一したので、統一後を18王朝と呼ぶようになった。19王朝はファラオの血筋が途絶えたために区別。17~19王朝は、同じ王朝)です。また、史実として第18,19王朝は、基本的にカナン地方を領土にしていますから、この時代にカナンに移動したならば、エジプト脱出とは言えないのです。そういう意味で、出エジプトがあった時期は、第15王朝から第17王朝の間かもしれません。このように、聖書の物語を歴史書そのものとして読んでしまうと、説明がつかないところが出てきます。しかし、考古学で裏付けできるような物証は少ないながら、聖書に書かれているような何らかの出来事があったのは確かだと思います。そして聖書の記者は、その出来事を通して神様のメッセージとして受けとめ、そして記録したのです。

 

神様は、ヨセフを用いることによって、出エジプト記の出来事を起こされました。ヨセフ自身も創世記のなかでこのように言っています。

創世紀『50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」50:25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」』

このように、ヨセフは、イスラエルの民を神様の約束されたカナンの地に帰ることを息子たちに誓わせたのです。そして、それを引き継いだのはモーセです。

出エジプト『13:19 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。』

 

ヨセフは、こうしてイスラエルの民を大飢饉から救っただけではなく、父祖の代から約束されたカナンの地にもどることを願い、そしてその意思をモーセが引き継ぎました。その結果として、モーセは神様とイスラエルの間の契約を受け取りました。ヨセフとモーセを通して、神様はイスラエルの民を「驚くべき方法」を用いて導いたのです。そして、神様は、イエス様をこの世に下さって、私たちに十字架による新しい契約をくださいました。神様は思いもよらない方法で、私たちを導かれます。私たちが望むことを先回りして、私たちが気付かないうちに私たちを救うための業を神様は始められております。神様が、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと多くの指導者を導いてきたことによって、神様は御心の計画を成し遂げられました。私たちは今、イエス様の恵みによって救いに与っています。これも、神様の御心によるものです。感謝して、イエス様の恵みと神様の愛の御業を賛美してまいりましょう。