使徒15:1-21

エルサレムの使徒会議

1.アモス書の預言

使徒15:16-18は、旧約聖書を引用した記事です。ヨシ王の時代に、牧者アモスが語ったとされるイスラエルの将来についての預言です。

アモス『9:11 その日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/その破れを修復し、廃虚を復興して/昔の日のように建て直す。9:12 こうして、エドムの生き残りの者と/わが名をもって呼ばれるすべての国を/彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。』

ヨシ王の時、ソロモンの造った神殿には、異国の神が祭られていました。ヨシア王は、元のダビデの時代に戻そうと改革に尽力しましたが、エジプトのファラオであるネコに戦いを挑んで死んでしまいます。その神殿を 主なる神様は復興すると言われているのです。そして、神様は、ユダの南に隣接する異国エドム(後のイドマヤ:イエス様の時代はユダの一部になっています)や、改宗した異邦人をイスラエルに所有させようとおっしゃっています。

イドマヤは、イエス様の時代にあっては野蛮人として馬鹿にされていましたが、ユダヤ教へ改宗している関係で、仲間として見られています。ユダのヘロデ大王もイドマヤ出身です。

2.異邦人伝道で起こった問題

改宗者にイスラエルの民と同じように、割礼を受けさせるかどうかが、異邦人伝道では問題になっていました。ただの民族の慣習でしかないのですが、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』などと教える人もいて、アンテオキヤの教会では、論争となり、パウロやバルナバが対応しても、収拾がつかなかったようです。割礼を民族のしるしとして見るのか、信仰のしるしとして見るのかと言う問題と、正統派争いという性格があると思われます。また、そのような争いは、権力争いに発展します。そして、ステレオタイプに同じことを言うことしか認めなくなって、ついには、独裁に突き進んでいくでしょう。パウロとバルナバは、教会が分裂したり、多様性を失ったりする事を恐れ、エルサレムの教会に助けを求めました。教会が、カラフルではなく、例えば2つの色に染まるならば、それは分裂の危機です。そして、分裂した教会はまた小さい違いを見つけては分裂し続け、やがてバラバラになってしまうでしょう。異なる意見を尊重しないからです。また、教会への影響力を増すことにしか関心が無ければ、争い続けるという醜い行動をしてしまうのが、人の現実だと思われます。

3.一致する事一致しないこと

エルサレムの教会で、パウロとバルナバが異邦人伝道の成果を分かち合いました。このことには、エルサレムの教会も大変喜びました。しかし、割礼については、かつてファリサイ派だった人々を中心に「受けさせるべきだ」との声が上がりました。

ペトロは、信仰のしるしは聖霊が降っていることだと主張します。であれば、割礼など不要なはずです。「異民族の習慣を強要」という、軛を異邦人にかけることはよろしくないことがわかるでしょう。実際、ペトロは異邦人と同じ様に生活をしながら、異邦人にユダヤ人の生活を強要していました。(ガラテヤ2:14) このことを、ペトロは語ったのだと思われます。しかしペトロの説得で、ヤコブが妥協案を言いますが、その場の雰囲気で皆黙ったのでしょうか?。

この場では、妥協はしたものの解決したわけではなかったのです。

4.妥協

ヤコブは、エルサレム教会の中心人物でした。ヤコブはアモス書から引用して、旧約の時代から「神様は、異邦人に改宗させているご意志だった」ことを話しました。そして、異邦人を悩ませることがないように、モーセの律法から

『偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように』と、手紙を書くことにしました。しかし、ヤコブはその後態度を変えています。

ガラテヤ『2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。』

ガラテヤ2:9によると、パウロとバルナバは異邦人の所へ、ヤコブ、ペトロ(ケファ)、ヨハネは割礼を受けた人の所へ行くことになります。