使徒22:30-23:11

神の前で、人々の前で

1.千人隊長の立場

 パウロを捕まえた千人隊長は、パウロがローマ市民権を持っていることを知ると、囚人として縛ってしまったことを恐れました。ローマ市民は裁判を受ける権利がありますから、裁判なしに囚人扱いはできないからです。翌日になって、ローマ法で裁くにしても、その前に「パウロが訴えられている理由」を知らなければなりません。もちろん、ローマ法を犯したと言うような訴えではありませんから、千人隊長は訴えているユダヤ人から事情を聴かなければなりません。そこで、千人隊長が考えたことは、ユダヤの最高法院に裁かせることでした。ローマの支配下であっても、ユダヤには自治権がありますので、最高法院からローマのユダヤ総督に訴えてもらおうと言うことです。こうすれば、訴えた理由も整理されてくるし、ローマの独断で厳しく、または緩く罰したのでは、暴動がまた始まるかもしれないからです。

2.最高法院(サンヘドリン)の立場

 さて、最高法院ですが、パウロを殺そうとしていたのでしょう。ユダヤ人たちが神殿内でさわぎを起こしていることを咎めることも止めることもありませんでした。最高法院は、そもそも法を守らせるための組織として機能すべきなのですが、ステファノの死のときのように、私的な処刑をするような、「神の権威で律法違反をする組織」になってしまっていました。パウロも、千人隊長が来なければステファノと同じ結果になっていたでしょう。そういう意味で、大祭司が律法を守らないことも、大祭司の権威で相手を黙らせることも日常的に行われていたのかもしれません。議長と副議長そして69人の議員で、宗教的な裁判と政治的な裁判を行っていますが、死刑だけはローマが裁判権を持っていました。したがい、死刑にしたい宗教的案件は、私刑にしたのです。なぜなら、ユダヤの律法を守らなければならないとの法は、ローマにないからです。

3.ファリサイ派とサドカイ派

 当時のユダヤ教には4つの派があります。

ファリサイ派:庶民層であるが、最高法院などでの政治的・宗教的実権を握っていた。

サドカイ派:富裕層。古くから政治・宗教を担っていた。ファリサイ派もサドカイ派の流れを汲む。

      聖書(この時は旧約しかない)に、死者の復活が書かれていないという理由から、死人の

      よみがえり認めない。つまり、聖書主義者。

熱心党:ファリサイ派から生まれた、過激な律法遵守主義者。

エッセネ派:腐敗した神殿のありさまを嘆き、世俗を脱して清貧な共同生活を送っていた。ファリサイ派か

      ら派生したと思われる。

 力関係は、ファリサイ派が圧倒的に強かったのですが、要職はサドカイ派で占めていたので、実務ではファリサイ派の意見に従うも、サドカイ派の理念はおし通していたようです。

4.律法学者

 旧約聖書では〈書記官〉と記されています。ユダヤの教典を記録し解釈する人という意味から,新約聖書では〈律法学者〉と訳されています。

 一方で、律法学者はラビ(「私の主人」との呼びかけから派生)と呼ばれるようになりました。ラビは、無報酬で、口伝を含めた律法の解釈を教えていました。最高法院にいる律法学者は、最高の学者をそろえることで裁判の公平性を担保したのだと思われます。そういう意味では、裁判所の書記官としての働きをしたと思われます。

5.神の前で、人々の間で   

 パウロが、死人の蘇りを言い出したものですから、最高法院は混乱します。千人隊長はパウロを助け出して、連れ帰りました。パウロは、神殿で暴動を起こしている群衆の前で弁明したときから、イエス様のことを証しし、そしてパウロ自身は異邦人のための使徒だと、主張しました。ユダヤ人の群衆は、さらに怒ってパウロに迫りました。しかし、パウロは、そのようなことにひるまず、翌日の最高法院でも大祭司の高圧的な態度に屈することもなく、また礼を失することもなく対応しました。このときのパウロの目標はすでにローマにありました。幸い、パウロはローマの千人隊長の庇護下にありますので、パウロを死刑にしようとしているユダヤ人と議論するより、議場を混乱させた方が良いと判断したのでしょう。そのパウロが狙った通り、議場は混乱して、兵営に戻されることになります。

 兵営に戻ったパウロは、イエス様の声を聞きます。

「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

 イエス様は、パウロが望んだとおりにパウロをローマに派遣することを宣言し、パウロを励ましたのです。