使徒20:17-35

 与える方が幸い

2023年 813日 主日礼拝(平和礼拝)

与える方が良い

聖書 使徒言行録20:17-35

 今日は、終戦記念日に最も近い日曜日なので、平和礼拝として、宣教を準備しました。今日の聖書を見ると、イエス様は、『受けるよりは与える方が幸いである』と教えています。もし、イエス様のような方々が国を治めていたならば、1941年から1945年までの戦争は起こらなかったでしょう。戦争が終わって、78年たった今。その反省が生かされているのでしょうか? 残念ながら、まだ反省が徹底されていないようです。ロシアによるウクライナ侵略は、反省がない明らかな証拠だと思います。人の領土や財産を欲しがる一人の為政者が、国民の利益にならない戦争を引き起こしました。もし、その国のリーダーがイエス様であったなら、奪ったりすることよりも、与えることを考えたでしょう。日本も先の世界大戦で、八紘一宇つまり、アジアを一つにしようとの名目で、侵略戦争を引き起こしました。民族主義と国家が結び合わさって、軍隊は勝ち目のない戦争を引き起こします。勝っても負けても、国民にとっては不幸です。「日本は神の国である。」として、軍国主義と国粋主義、民族主義とあらゆる宣伝やプロパガンダで、人々を戦争に巻き込みました。また、その手段として、天皇は利用されつくしました。「神話の世界からはじまる万世一系の天皇は、神である」と祭り上げてしまったので、犯すべからざる者となってしまいました。ですから、天皇を利用して作った、戦争への流れを止められません。止めようと言うものならば、命がけとなります。そんなふうに暴走がはじまると歯止めがききません。ついには、国家主義や民族主義が宗教を捏造して、天皇礼拝や靖国礼拝を強要したのです。このようなことを二度と起こさないよう、平和への祈りは絶やしてはなりません。そして、領土を広めようと戦争をする国は、ロシアが最後となってほしいものです。

 今日の聖書は使徒言行録です。使徒言行録は、ルカが書きましたが、この記事のころ、ルカはパウロと同行していました。(パウロの文書の中にも出てきます。コロサイ4:14、二テモテ4:11、フィレモン1:24)パウロの第三次伝道旅行の最後あたりですね。第三次伝道旅行では、パウロはそのほとんどの期間(二年から三年)をエフェソで過ごしています。その後、三か月ほどコリントのあるアカイア州にわたり、コリントの献金を携えてエルサレムに上る途中が今日の記事であります。エフェソと言う町ですが、現在は廃墟となった遺跡であります。当時はローマ属州であるアジア州の都として栄えた町でした。栄えていたのは、アルテミス神殿があったからです。アルテミスは、ギリシャ神話の女神で、下半身が魚で上半身が人です。世界の七不思議に歌われた神殿がありました。そんなわけで、いわゆる観光地だったわけですね。諸国の、王侯貴族が競って、宝石などを捧げていたようです。その神殿は、今では瓦礫となってしまいました。パウロが伝道をしたエフェソの町ですが、みんなクリスチャンになってしまったからだそうです。

 さて、パウロはこのときエフェソには寄らずにエルサレムに向かう予定でした。もともと、エフェソで、騒動に巻き込まれていて、命を狙われるような状況だったからです。エフェソに戻ったら、また騒動が起こりかねなかったのです。使徒言行録にもそのことが書かれています。

『19:23 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。19:24 そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。19:25 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、19:26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。19:27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」19:28 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。19:29 そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。』

 こんな経緯がありましたから、パウロはエフェソに行くのをやめて、長老たちをミレトスの町に呼び出します。そして、パウロは長老たちに別れの挨拶をするわけです。パウロは、過ぎ越しの祭りまでに、エルサレムに上る予定です。過ぎ越しの祭りの日には、多くの国外に住むユダヤ人たちもエルサレムに集まります。

 さて、パウロは、アジア州やテサロニケ州で迫害を受けてきました。また、根拠のない噂で悩まされていました。パウロのその噂は、エルサレムにいるイエス様の弟ヤコブからも、聞かされています。

『21:21 この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。』

この噂の原因は、一つはユダヤ人の選民思想であり、もう一つは異邦人伝道をしているパウロへの反発だと言えます。神様から選ばれた民族としては、同じ神様を信じて仲間になるのは構わないのだけど、ユダヤ人と同じ習慣を守るべきだと言うことですね。モーセのころから「ユダヤ人とは、ユダヤの神を信じる者のこと」でした。人種によっての差別はもともとありません。異邦人でも、一緒に礼拝をする人は、神を畏れる者と呼ばれました。さらに、生活習慣までもユダヤ人と同じにした人は改宗者と呼ばれます。パウロに反発している人々は、改宗者となる。つまり完全にユダヤ人になることを強要したいと言うことです。それに対し、パウロは神を畏れる者のままで良い、つまり、外面的にユダヤ人にならなくて良いと教えていたわけです。「ユダヤ人は、神様に選ばれた特別な民族である」と誇りに思っているユダヤ人にとっては、パウロの異邦人伝道のありかたが、気に食わなかったのだと言えます。もちろん、噂になっている『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』などとは、パウロは指導していません。言いがかりをつけられているのですね。ただ、民族の誇りである、神様に選ばれた「しるし」を異邦人に勧めないパウロが、問題だと言うのです。こういう民族主義みたいなことになってしまうと、どうしても感情的にヒートアップしやすいのですね。 パウロは、たびたび迫害されましたが、その迫害のほぼ全部はユダヤ人によるものでした。異邦人と食事をするとか、神様を信じる異邦人に割礼を強要しないなどは、ユダヤ人でない私たちから見ると、ほとんど迫害する理由とはなりません。しかし、ユダヤ民族の誇りである「神に選ばれた民」である誇りは、「異邦人も神に選ばれる」ことで、否定されているわけです。そのため、民族主義に火が付いたと思われます。

 ところで、主の兄弟ヤコブのことです。彼は、エルサレムの教会を代表する人でした。ところが、ユダヤ人は、ヤコブを迫害しませんでした。むしろ、ヤコブは、ユダヤの人々の尊敬を集めていたようです。なぜかと言うと、異邦人伝道をしないエルサレムの教会は、ユダヤ人は迫害しなかったのです。ですから、ユダヤ人からの迫害は、パウロの伝道した教会に特有の問題と言えます。パウロ自身も、何度か命を狙われました。そして、パウロはこれからの迫害で、自分自身が、そしてエフェソの長老たちが血を流すという前提で、その血について語ります。

『20:26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。20:27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。』

  パウロの流す血についても、エフェソの教会の長老たちが教会の監督として流す血についても、パウロの責任ではない。つまり、パウロは神様の計画に従って、やるだけの事をやった。そして、長老たちにこれからを託す。あなたがたが指導者として育ったのだから、あとはあなた方の責任だ。と言うことだと思われます。もちろん、教会はイエス様が十字架で血を流した、この贖いによってできたのであります。責任があるとしたら、その計画をたてた、神様にあるのです。私たちの責任は、その神様の計画に対して、忠実に従う羊となることであります。

『20:34 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」』

 パウロは、仕事をしながら伝道しました。本来、使徒は「生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利」(一コリ9:6)を持っていました。しかし、パウロはその権利を行使しなかったのです。

「テント造り」として働き、自らの生活を支えました。そうして、教会に負担を掛けないようにしていたのです。共にいた人々とは、アキラとプリスキラ、それからアポロ等、一緒に教会を立ち上げている仲間であります。パウロがしてきたように、エフェソの長老たちにも働きながら伝道してほしいと言うわけです。一コリ『9:18 では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。』

 このようにパウロは、無報酬で働いた上に、一緒に伝道をする仲間の生活も支えました。しかし、パウロはやむなく働いていたわけではなく、働きながらその合間に福音を宣べ伝えることを、特権だと喜んでいるのです。福音に専念して、報酬をもらうことよりも、働きながらその合間に伝道をする。それが、キリスト教の信徒のあるべき姿と考えていたのでしょう。パウロは、自らその模範となるように働きました。当時コリントには偽使徒(二コリ11:13)つまり、キリスト教とは違う教えをする人々がいて、教会が混乱するなか、パウロはイエス様のように「与える」ことに徹したのでした。すると、コリントの教会の人々は、パウロの信仰生活を目にすることで、イエス様の姿を感じたのです。パウロのこうした行動が、偽使徒の間違った教えに流されるのを防止したと言えます。教会を守るためには、言葉でやり返すよりは良い選択であります。また、イエス様に倣うことが、パウロの喜びだったと言えます。

『受けるよりは与える方が幸いである』

この言葉は、使徒言行録にしかありませんが、イエス様の言葉だとパウロが言っています。そして、この言葉は、イエス様の性質そのものなのだな!と思います。パウロは、イエス様の性質を見倣って、実践していたのです。その結果、教会が祝福されたのです。それがパウロの受けた報酬でした。パウロはエフェソの長老たちに、この遺言を伝えました。「イエス様のように与えなさい。その方が幸せです。」・・・私たちは、与えるような立場にはありません。しかし、イエス様の愛は受け取っています。だから、その愛をお分けしたいですね。自然とできることを、だから簡単で小さいことをしましょう。そして、「与えること」が喜びとなるように、祈ってまいりましょう。