出エジプト18:13-26

一人では負いきれない 

1.エトロ

 舅エトロは、モーセのところにやってきます。アマレクとの戦いの場所であるモーセが手を上げた岩場の先に、神の山があります。(神の山は、モーセがエトロの羊を飼っていたとき、神からの召命を受けた場所です。)ここで、舅エトロはモーセを訪問して、先に返されていた妻と子どもたちを連れてきています。

神の山は、モーセがヤハウェを知った場所です。ヤハウェという神名は新しいもので、イスラエルの先祖たちは、セム族の最高神エルの名を呼んでいました。それは、出エジプトの記事からもうかがえます。

『6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。』(出6:2-3)。

舅エトロは、神のミディアンの祭司であったと書かれています。ミディアンは、シナイ半島の東側対岸で、現在のサウジアラビア北西部のタブーク州です。エトロは、捧げものといけにえを神にささげていますので、同じヤハウェの祭司だったことが推定されます。

『18:1 モーセのしゅうとで、ミディアンの祭司であるエトロは、神がモーセとその民イスラエルのためになされたすべてのこと、すなわち、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。』

『18:12 モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのと共に神の御前で食事をした。』

エトロの仕えていた神が、このヤハウェであったとの仮定すれば、ヤハウェに対する唯一神信仰はモーセのころから始まると見る神学者もいます。

2.モーセの役割

 今の言葉で言うと、ボトルネックだったモーセ。モーセのところの民が集まり、朝から晩まで、その行列が絶えないことを見て、エトロは、驚いてモーセに聞きます。するとモーセは、民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。18:16 彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのですと、何ら問題視していません。しかし、現実に民衆側から見れば、長い時間にわたって、何事も決まらないまま待ち時間を過ごことになります。現代社会でも、自分で全部をやろうとして、すべてを止めてしまう人は、そのポストから外されてしまいます。なぜなら、裁く人本人の満足度よりも、社会全体の満足度が大事だからです。そのためには、一部の裁きを誰かに委託することが必要です。委託した場合も、責任は委託した人自身からは移ることはありません。つまり、部下のした判断にまで責任を持てないということで、全部を自分でやろうとする人は、一番下っ端の仕事しか向かないのです。一方で、目の前のことに一生懸命すぎて、ボトルネックになっていることに気が付かない場合もあります。これは、よくあることなので、忠告してあげることが必要です。最高の対応、bestの判断は、視点によって違うのです。ですから、どこかでbestを尽くそうとすると、どこかで そのしわ寄せが来ます。この場面でも、モーセが主の意向に沿うことを一生懸命考えて祈っている時間に、実際解決できてしまうことがたくさんあることに気づいていないのです。

 そういう意味で、モーセはエテロの忠告を受け、自分の役割を委ねることできました。そして、本来モーセがやるべきことに向き合うことができたのです。民を裁いて、「やっている感」があったのでしょうが、実際はモーセこそがやるべき仕事を放棄してしまっていたことに気が付いたのだと思います。

モーセの役割は、神の民をどうやって約束の地まで導くか、そして民の信仰をどうやって守るのかを祈り、考え、そして準備をさせることでした。決して、民のいざこざを裁くことでは、この役割は果たせないのです。

 

3.エトロの視点

 エトロが素晴らしかったのか、あまりにもひどい光景に誰も気が付かないわけがなかったのか? 状況証拠があまりないので、良くわかりません。しかし、エトロは祭司をしていましたから、多くの人が犠牲を捧げにやってきたときに、一人では全部を対応できないことを体験していて、手分けするという手段を知っていたのかもしれません。 もう一つ仮説を言うと、エテロはこれまでのイスラエルの民のいきさつを聞いていますから、同時にモーセには直接言えないことが、エテロに耳打ちされていたとも考えられます。モーセに直接 このやり方では、モーセも民衆も疲れてしまうと思って進言したのでしょう。でも、聞いてくれなかったと考え、エテロをわざわざ呼んだのか、たまたま来ていたエテロに進言を委ねたとも考えられるでしょう。もう一つの仮説:「大事なことを先に、そして小事は後で」では、さばききれなくなった時点で、「小事までもが大ごとに成長」してしまい、混乱が大きくなります。エトロは、その逆で、「小事は委ね」「大事は上に」との選別をすることで、解決までの時間短縮と高度な判断への集中を図りました。