出エジプト1:1-14

エジプトのイスラエル人 

イスラエルの12部族は、ヤコブの子供たちにルーツがあります。(12部族名にアンダーライン)

◆レアの子  ルベン シメオン レビ ユダ イサカル ゼブルン 

◆ラケルの子   ヨセフ ベンジャミン

◇ラケルの召使(ビルハ)の子   ダン ナフタリ

◇レアの召使(ジルパ)の子 ガド アシェル

■ヨセフの子  エフライム マナセ

1.ヨセフの時代
 ヨセフが活躍したのは、エジプト第15王朝(紀元前1663年頃 - 紀元前1555年頃)の時代ではないかと考えられています。それは、ヒクソスの王朝(エジプト15,16王朝)と呼ばれ、アジア系民族(ヒッタイト?)の王朝だと考えられています。それは、17王朝、18王朝の記録にモーセの記事がないからです。実在の人物であるとしたら、ヒクソス王朝時代の可能性が高いということです。(ヒクソスは、文書記録が極めて少ない)
もしくは、一地方の小事なので、記録がないと言うことも考えられます。

参考までに申し上げますと、出エジプトを19王朝のラメセス2世の時代とするのは、聖書の記載によるもので、その歴史的裏付け資料は見つかっていません。

2.ヨセフの事を知らない新しい王
 ヨセフのことが忘れられるには、15王朝の110年のではあり得ないでしょう。政治的に忘れられたのであれば、15王朝から16王朝を起こしたとき、または17王朝がヒクソスを追い出した時に忘れられたことも考えられますそして、17,18,19王朝は連続性のある王朝(血縁が切れて17~18、18~19に変わっただけで、国のシステムは継続)なので、この17王朝~19王朝ラメセス2世即位(BC1540~BC1279)の時代にヨセフが居て、そして「ヨセフのことを知らない王」が登場した可能性は考えにくいです

なお、ヒクソスは多神教です(カナンの地の信仰と同じであるらしい)。18王朝のアクエンアテン王が、世界で最初の一神教(アテン神)をはじめ、その息子ツタンクアテン(アテン神の子)がその一神教を廃棄し、ツタンクアメン(アメン神の子)を名乗りました。(ツタンカーメン王のことです)
一神教がこの時まで存在した証拠がないことから、モーセの時代はもっと後と考えられますが、歴史を通じてエジプトからユダヤ人が大脱出した記録そのものがありません。むしろ、エジプトの18、9王朝はカナンの地まで支配していた記録がたくさんあります。つまり18、9王朝時代に、出エジプトはあったとしても記録に残らないような小規模の移動であった可能性があります。またこの頃、エジプトはカナンに何度か遠征しており、カナンもエジプトの支配下に過ぎなかった。そういう意味で、エジプト脱出してカナンに行って国を建てる動機は考えにくいのです。

 結論ですが、史実としてのヨセフの証拠とモーセの証拠が出てこない限り、紀元前16世紀から13世紀のファラオまで、そのヨセフの事を知らないファラオはだれか?を特定できません
(15王朝からラメセス2世まで40人もファラオがいます

3.強制労働、王女 聖書の手がかり

 聖書の記事を見ると、その労働には日干し煉瓦作りがあります。18王朝時代遷都した先のアマルナの町は、日干し煉瓦で作った町です。この時代は、政治を放棄したファラオ アクエンアテンが一神教を一生懸命説いていました。そして、カナンは諸外国に脅かされるも、アクエンアテンは放置。戦争に出ませんでした。一方で、ユダヤの民の住宅は、日干し煉瓦でつくるのが普通でした。この日干し煉瓦は、偶然の一致なのか、何らかの接点があるのかはよくわかっていません

 モーセを育てた王女が事実いたとすると、ファラオの娘であり、ファラオの妻であり、後にファラオになった ハプシェプスト女王だったら、と考えてしまいます。彼女以外は、モーセを跡継ぎを争わせるように育てることは困難です。もちろん、モーセがそういう家に育ったならば、記録がないはずがありません

 ラメセスの町を作ったと聖書にあるので、ラメセス1世、2世と言うことになりそうですが、19王朝はカナンを奪い返して支配している王朝です。これらの聖書の記載は、いろいろな言い伝えを元に紀元前5世紀ごろにまとめられた関係で、書かれたときはすでに1000年くらいの時が立っています。その間に、具体的にファラオを想定した場合、誰が考えても1000年も忘れられない王、つまり有名な王ラメセス2世になってしまったのかもしれません。(特に、歴史的根拠はないのですが・・・)

4.過酷な労働?

 民族間の感情については、割り引いて考えなければなりません。エジプトはヒクソスにひどい目に遭ったと記録を残していますが、エジプトのヘブライ人に対する記録は、特にありません。ヒクソスは、パレスチナ、カナン、フェニキアあたりの、混合民族で。エジプトにいたヒクソスがカナンに移動しただけかもしれません。また、大脱出の記録がないことから、史実としては極めて小規模なものだった可能性もあります