使徒2:1-13

一同は聖霊に満たされ

 五旬祭とは、50日の祭り。モーセが、出エジプトの49日後にシナイ山で十戒を頂いたことを記念した、シャブオット()のことです。その時に、聖霊が降臨したと、使徒言行録は証言をしています

ユダヤ教の祝祭で、過越仮庵の祭とともに三巡礼祭の一つ。過越の第2日の49日(7週間)後に始まる約3日間の祭です。49日は、数えでは50日を指します

 イエス様の復活から ある程度時間がたって、弟子たちおよびイエスの教えに接した人々でしょう。一つになって集まっていました。あの、疑い深いトマスを含めて、伝道を開始し始めていたと思われます。それは、エルサレムから始まりました。弟子たちにとって、それが自然だったのでしょう。いきなり全世界に行くのではなく、言葉の通じる世界、そして同じ民族で、同じ宗教を頂くユダの国の中心地である、エルサレム。ここから伝道を始めるのは、妥当な選択でしょう。

 当時、エルサレムには、外国で生まれ育ったユダヤ人が多くいました。理由は、2代目ローマ皇帝ティベリウスが、「ローマから全ユダヤ人を退去」を命じたからです。当時、地中海全体を支配していたローマのどこにでもユダヤ人は居ました。ローマ皇帝は、宗教・司法・行政・律法の最大権力者ですから、当然のように、ローマのいたるところに、皇帝像を建て、礼拝するように命じていました。さらにティベリウスは、一歩踏み込んで、皇帝を礼拝しないユダヤ人をローマから追い出したのです。

 ローマと言っても、現在のイタリアあたりのローマ本国だけではありません。元老院属州、皇帝属州や皇帝直営地のエジプなども含まれます。ローマ本国や周辺の属州にいた人は、クラウディウスの命令によってアジアあたりまで戻ってきていますが、ユダヤの地方に戻る人が多かったようです。

 また、外国語が主言語であるユダヤ人だけではなく、ユダヤ教への異邦人改宗者、主を恐れる者(一緒に礼拝を守る異邦人)が、含まれます。このは、多くの外国語を話すユダヤ人がいたということです。

.ガリラヤの人

 基本的に、エルサレムの人は、異郷の地や、かつて異教の国に支配された地方について、下に見ていたようです。例えばサマリアフェニキアがそれにあたります。他にも、南部のイドマヤ、北部のガラテヤやその対岸のデカポリス地方は、一時的に異教の手に渡ったので、その典型となります。ガリラヤはヘロデ(アンティパス)が領主として、ローマの1/10税のほかに重い税金をかけただけではなく、ヘロデ自身が大地主として、農園で日雇い労働者から搾取していました。ですから、実際ガリラヤの庶民の生活レベルは低ったと言えます。そういうこともあって、ある意味、ガリラヤの人は無教養との評価があったものと思われます。

.異国の言葉で語る弟子たち

使徒『2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 現代でも、異言を語ることを重要視する教会もあります。ただ、正直私たちにはそれが聖霊の働きなのかどうかを判断することはできません。そして、弟子たちが異国の言葉で語る姿を見た人々は、「新しい酒に酔っているのに違いない」と、酔っ払い扱いをしました。弟子たちに学が無いという理由で、すごいことをしても認められなかったのです。

.聖霊の働き

 さて、このお話をどう受け止めましょう。今でも、異言を聞く機会があると思います。
私たちは、戸惑うと思いますしかし、聖霊がそこに働いていれば、霊的に豊かにされるでしょう。