使徒11:19-30

キリスト者と呼ばれて

1.ユダヤ人伝道

イエス様の弟子たちの群れの中で、ギリシア語を話す人々のリーダーだったステファノは、偽証によって最高法院で裁判にかけられ、そして殺されました。それをきっかけに、イエス様の弟子たちは何度も捕まりました。それでも、使徒たちは牢に入れられても、なぜか牢から脱出しては、神殿でイエス様のことを教え続けることが出来ていました。また、群衆が使徒の話を聞いていたので、祭司長達も使徒に手出しはできませんでした。一方で、捕まることを恐れてエルサレムを離れる人が多かったと思われます。しかし、どこに行ったとしても伝道の対象はユダヤ人だったようです。

マタイ(15:24)とマルコ(7:26-27)を見ると、イエス様自身がカナンの地の女に頼みに対して、悪霊を追い出してあげることに消極的です。

マタイ『7:26 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」』

この様に、イエス様の弟子たちも、パン(み言葉)は、ユダヤの民(子供たち)のために分け与えるのであって、異邦人(小犬)に上げる物ではないと考えていたと思われます。ですから、外国に行ってもユダヤ人にしかみ言葉を語りませんでした。

しかし、もともと多くの人たちは外国で生まれ育ったユダヤ人たちですから、ギリシア語が堪能な人もたくさんいます。また、当時のギリシア語は公用語ですから、ギリシア語でみ言葉を語ることも自然な流れです。そして、ギリシア語を話す人の多くは、異邦人です。もともと、ユダヤ教は異邦人を受け入れますので、人種が異邦人であっても、改宗者や主を畏れる者と一緒に礼拝を守って来ました。そういう事からも、ギリシア語を話す人々への伝道には、条件がそろった良い時だったと思われます。


2.異国の教会

シリアのアンティオキアは、最初のキリスト教の海外拠点だったと思われます。ギリシア語を話す人々への伝道の成果がエルサレムに聞こえてくると、エルサレムの教会はバルナバを派遣しました。バルナバとは、使徒言行録に出てくる初期のキリスト教会のメンバーです。

使徒『4:36 ~レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、』 と言うのが、最初のバルナバの記事です。

 大事な時に、エルサレムの教会から派遣されるくらいですから、バルナバの信仰とそれに対する周囲の人々の信頼は厚かったのだと思われます。バルナバがアンティオキアに着いてみると、そこには、神様の恵みと聖霊に満ちていました。

使徒『11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。』

こうして、異国での異邦人伝道が、本格的に始まります。バルナバ自身もアンティオキアの教会を見に来ただけではなく、そこに1年間とどまりました。エルサレムの教会がそのことを許したのでしょう。この群れが「主から離れることが無いように」指導者としてバルナバを駐在させたのです。そして、その1年間のバルナバは、タルソスで探し当てたサウロと共にいて、サウロの異邦人伝道者としての準備がされたときでもありました。


3.キリスト者と呼ばれる

キリスト教とユダヤ教は、新約聖書が書かれた時代には分かれていませんでした。しかし、ユダヤ教の一派として活動していたイエス様の弟子たちのグループがキリスト者と呼ばれることもあったのだと思われます。そのせいかもしれません。聖書にキリスト者という記載があるのは、この箇所と、ペトロの手紙一 4:16 だけです。

 

4.大飢饉

ユダの大飢饉は、歴史家フラウィウス・ヨセフス(AD37-100頃)「ユダヤ古代誌」によると、AD45年ころです。「ユダヤ、大飢饉に見舞われ、エルサレムに滞在中だったアディアベネの王女ヘレネがエジプトから大量の穀物を買い付ける」との記事があります。

予告では、世界中に飢饉が起こるとのことですが、使徒言行録を見てもアンティオキアでは影響がなかったようですし、ヨセフスの記事を見ても、エジプトから穀物を手に入れたことがわかりますので、ユダヤに限った飢饉だったと思われます。そして、支援の品物を送るときにバルナバとサウルに託しました。こうして、サウロはかつてサウロが迫害をしたエルサレムの教会に引き合わされます。そのためには、間にバルナバが立つ必要がありました。こうして、サウロ改めパウロの大きな伝道の旅が始まろうとしていました。