使徒18:18-28

第三回伝道旅行へ

  

パウロの第二回伝道旅行は、18:22で終わります。しかし、しばらくしてガラテヤに向けて第三回伝道旅行が始まります。

 

1.エフェソに向かったパウロ

 コリントで伝道をしていたパウロは、プリスキラとアキラという妻夫の協力を得ていました。シリアのエフェソにパウロが向かった時、彼らは同行しました。パウロがお願いしたのか、夫妻が希望したのかはわかりませんが、この夫妻にとってキリスト教の伝道が、生活の一部になっていたのだと思われます。ケンクレアイとは半島にあるコリントの東側の港です。(地図を参考にしてください)

 

パウロは誓願を立てていたので、定期的に頭を剃ってそしてその髪を祭壇で燃やしてささげていました。何の誓願かは記録は残っていません。諸説ありますが、コリントでは論争が絶えずそのことに関すると思われます。キリストを信じる者の中には、ヘブライイスト(従来のユダヤ教の風習を異邦人にも強要する人たち)とへレニスト(ユダヤの国を離れ、主にギリシャ語を話す、ギリシャ化したユダヤ人)がいて、異邦人の割礼などについて、コリントでは論争が起きていたのです。そういう経緯もあって、過ぎ越しの祭りにエルサレムの神殿に上る計画を立てていたのだと思われます。ですから、エフェソの会堂で論じ合っていたことも、このことだと思われます。エフェソの教会では、コリントとは異なってパウロに留まるように言いますから、エフェソの信徒はパウロの考えに近かったのではないかと思われます。

2.アキラとプリスキラ

 コリントでパウロが出会った、アキラとプリスキラは、よい同労者でした。エフェソでも素晴らし

い働きをします。イエス様のことを熱心に語る雄弁家アポロを見出したことです。アポロは大胆に会堂で教えたのです。ただしかし、アポロは正しく教えてはいたのですが、バプテスマのヨハネの「悔い改めのバプテスマ」は知っていたものの、聖霊によるバプテスマを知らなかったようです。さっそく、この夫妻はアポロにイエス様のことを正確に説明しました。たぶん、そのとき割礼などの問題で、パウロがコリントで苦しんでいたことを知ったのだと思われます。アポロはコリントのあるアカイア州に行きたいと希望しました。そして、聖書に書かれている通り、コリントではユダヤ人たちを説得しきったようです。こうして、かたくなだったコリントのユダヤ人たちもイエス様を受け入れだしました。パウロ自身、「自分は雄弁ではない」と手紙に書き送っているくらいですから、アポロはコリントでその能力を発揮してコリントの信徒を増やしていったと思われます。コリントの信徒への手紙一でもアポロがコリントの教会の中心人物であったことがうかがえます。