ネヘミヤ2:1-18

 ネヘミヤの祈り

2023年 4月 30日 主日礼拝

ネヘミヤの祈り」

聖書 ネヘミヤ2:1-18

今日は、ネヘミヤ記です。エルサレムの城壁を再建したネヘミヤの物語からみ言葉を取り次ぎます。時代はアルタクセス王の時です。この人は、アケメネス朝ペルシャの王様であり、エジプトのファラオでもありました。アケメネス朝ペルシャはキュロス王によって始まりますが、その5代目で、このころがペルシャの全盛期でありました。また、アルタクセスの父は、あのエステルを王妃にしたクセルクセス1世です。今日の聖書の王様は、正しくはアルタクセス1世(BC465~424)で、即位して20年と言うと、紀元前445年くらいの出来事であります。この当時のペルシャ帝国は、エステル記に書いている通りの大帝国でした。

エステル『1:1 クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスは、インドからクシュに至るまで百二十七州の支配者であった。』

クシュと言うのはエチオピア(実際は南エジプトからスーダンにかけて 当時その地方をエチオピアと呼んでいた)のことです。

当然、ユダも、そのなかの1州でありまして、ペルシャ王の支配下です。ペルシャ王の命令は絶対的権威があり、取り消されることがありませんので、王の一存で、何でもできた。そういう時代でした。

 新バビロニアによって、ユダ王国の人々は捕囚されましたが、新バビロニアがキュロス王によって滅ぼされると帰還が許されました。それでも、ペルシャで地位があった人の多くは、残りました。ネヘミヤは、アルタクセス1世の執事(新共同訳は献酌官と訳 マシュケー:執事、酌婦)という名誉ある職に就いて、なにも心配事はありませんでした。それが、たまたまエルサレムから尋ねて来た親戚の話を聞くと、心配事となりました。エルサレムは、バビロンに破壊されつくしたまま、復興していなかったのです。

ネヘミヤ『1:3 彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」』


 そこで、ネヘミヤはエルサレムに行く決意を固めます。エルサレムに行くためには、王様の許可を取り付け、また多くの便宜をはかってもらう必要があります。しかし許可を取るのに4か月もかかりました。また、様々な妨害に会いましたが、ネヘミヤは工事期間52日でエルサレムの城壁を修復したわけです。今日は、王様の許可を得る時のネヘミヤの祈りについてお聞きください。


 エルサレムの城壁の再建を決心した時、ネヘミヤは神様に祈りました。王様の憐れみを受けたいとの祈りです。王様にではなくまず神様に願いました。

ネヘミヤ『1:11 おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」~』

 執事と言えば、王様の使用人の長ですから、食事や身の回りの世話を取りまとめる立場です。王様に近くにいつもいるので、それなりの待遇を受けています。豊な生活が保証される一方で、大変なリスクがあります。もし、部下が失敗をしてしまったら、また王様を不快にさせたら、職や命を失いかねないのです。そもそも、王様の身の回りの世話が仕事であるネヘミヤです。仕事以外のことで、王様に話しかけたり、願い事をすることは許されません。ですから、ネヘミヤから王様に願い事を言うことは、命がけになります。ネヘミヤは祈るしかなかったのです。また、このころのペルシャ王の命令は、取り消されることがありません。(エステル8:8) なので、王様が命令してしまったら最後、王様でも命令を変えられないし、王様の部下はその命令を実行しなければならないのです。つまり、機会は一度なのです。二度目のお願いはないのです。


 王様の傍に仕えているネヘミヤですから、世話をする以外にも話し相手にもなります。そういう意味で、主従とはいえ親しい関係だったものと思われます。現に、王様がネヘミヤの様子を見て「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」と声をかけたくらいですから、王様にとってネヘミヤは大事な人なのです。そして、このネヘミヤと王様の会話に王妃も加わって「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と聞いている様子から、王室にとってネヘミヤは、いつもそばに置いておきたい人物なのだと言えます。


 王様からの問いに対して、ネヘミヤは恐縮しました。王様に見破られるほど、暗い顔をしていたことに気づいたからです。そしてネヘミヤは、取り繕うことなく率直に本当の事を王様に答えます。

『わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」』


暗い表情をするのは、エルサレムが破壊されたままで、荒廃を続けているからだと、ネヘミヤは答えました。王様の質問に誠実に答えて、そして聞かれていないことは話しません。

すると、王様は聞きます。

「何を望んでいるのか」

この言葉は、奇跡と言えます。王様がネヘミヤが暗い顔をしていたのを見つけ、声をかけたことも、ネヘミヤの望みを聞いてきたことも、どちらかが無ければ、何も始まりませんでした。ネヘミヤは、自分からエルサレムの城壁を修復したい等と 仕事にかかわらない事を王様に言えないのですから、神様が王様にネヘミヤの望みを聞かせたとしか、思えません。このためにネヘミヤは祈ってきました。祈るしかなかったのです。ネヘミヤはエルサレムの惨状を聞いたキスレウの月から祈りはじめ、そしてこのニサンの月まで祈り続けていました。4か月です。その間、王様にこのお願いをする機会は与えられませんでした。それが、ようやくその時が来たのです。王様の方から聞いてくださったならば、これ以上の機会はありません。


 さて、王様に願いを言う時が来ました。一期一会です。さぞかし、恐ろしかったことでしょう。ネヘミヤは、この時神様に祈って、そして王様に答えます。

『「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」』


幸にして、王様は好意的に受け止めてくれました。しかし、了解を取らなければなりません。ネヘミヤは、祈っている4か月の間に、準備をしていました。何時帰れるのか?との質問に、さらさらと答えるわけです。どのくらいの規模の工事になるのかを理解し、人がどれだけ集められるのか?必要な資材は何か?どこから資材を調達するか?その費用はどうやって捻出するか?これらのことがすべて具体化していなければ、いつ帰れるのかは答えられません。答えられない場合は、許可されることはないでしょうし、二度目の機会はありません。神様は、ネヘミヤが準備出来たところを見計らって、王様を動かしたのだと言えます。そうして、ネヘミヤは道中の安全や工事に使う木材について、王様にお願いして、いよいよ出発することが出来ます。

 ところが、サンバラトという人やトビヤ家の人が機嫌を損ねます。サンバラトは、ペルシャの役人です。また、トビヤ家はイスラエルの名家でありますが、隣の州のアンモン人と一体化していました。この人たちはエルサレムが再建されて、ユダの人々が強くなることをきらったのです。これは、大きな問題であります。ペルシャの役人も同族の家の者も、信用できないと言うことです。 エルサレムに入って3日間、ネヘミヤは神様から示されているこの城壁の補修について、誰にも話しませんでした。まず、ネヘミヤがしたのは、崩れた城壁を調べることです。夜わずかな者たちを連れて城壁や城門を回りました。神様がそうするように示していたからです。昼に調べに行ったならば、あきらかに城壁を修復しようとしていることがわかってしまいます。それでは、妨害したい人々が、反対の声をあげてしまいます。反対しそうな人は、ペルシャの役人です。そして、貴族にも、工事に携わる人の中にも反対しそうな人がいました。ですから、ネヘミヤは自分の計画をユダ州の人々に話すときに、反論する間も与えずに決着しなければなりません。だから、祭司にも、貴族にも、役人にも、工事に携わる全ての人々に同時に話をし、賛同を取るわけです。

ネヘミヤは、集まったみんなに言います。

『「御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない。」』


 ネヘミヤは、このとき工事の目途をつけていたのです。そのために、夜中に城壁を見回って、現状の把握もしました。こうして確信を持ったうえで、ユダ州の人々に城壁を建て直そうと訴えたのでした。根拠があっての提案ですから、賛成する者は皆喜びます。皆が「早速、建築に取りかかろう」と応じ、奮い立ちます。これで、工事が決定しました。神様の導きによって、「とりかかろう」との声が大勢を占めたからです。反対したい人が、声を挙げる間もなく決着がつきました。こうして、工事は始まり、そして妨害も始まりました。ネヘミヤは、妨害を受けつつも神様に祈り続け、そして神様から示されたエルサレムの城壁の修復は成し遂げられます。


 さて、ネヘミヤがエルサレムを再建すると決意した時の事です。ネヘミヤは、神様に祈った結果、自分に与えられた使命だと確信しました。そしてその実現のため、ネヘミヤは祈り続けました。祈りの答えが出るのに4か月もかかりました。その時がなかなか来ないなか、神様がその機会を作ることを待ちます。そして、祈りながら、実現するために準備をします。ネヘミヤが神様を信じて祈り、示されるままに行動した結果です。すべては神様の御手によって動かされています。ネヘミヤがすごいのではありません。神様に祈り、そして神様に頼るネヘミヤの信仰があるからこそ、神様はネヘミヤを導くことが出来たのです。そして、すべてをなされたのは神様です。神様は、私たちに善いことをしたいとお望みです。私たちを愛しているからです。でも、私たちは神様の示されていることになかなか気づきません。鈍感なのでしょうか?・・・多分、私たちは、自分だけで考えては・・「無理だ」と思って、祈る事をやめてしまっているのだと思います。ネヘミヤのように自分にまだ目途がなくても、神様の計画に委ねて祈ればよいのです。祈りの成果や何らかの兆しが無くても、それでも祈り続ける。そうすれば、神様は、その祈りをかなえてくださいます。すべては、神様が備えてくださるのです。