Ⅰヨハネ4:7-21

神様の愛 

   

1.神様を知る

ヨハネはこの手紙全体で、兄弟姉妹を愛することを勧めています。ここでは、愛が神から出ているから、という理由になっています。キリスト教で使われる「愛」は、アガペー(αγάπη)というギリシャ語で表されます。霊的な愛であり、一方的に与えられる神様の愛です。なぜなら、その愛は神様のみから出ているからです。私たち人間には備わっていないものです。

「神は愛である」という言葉が出てきますが、神様はたくさんの愛を持っている、ということではなく、神はその本質において愛です。神様は愛という動機によって、すべてのことを行なわれています。神様が愛から離れることはありません。ですから、愛することを知らなければ神様のことを知ることが出来ません。

神様にはひとり子がおられて、そのひとり子をこの世に送ってきてくださいました。それが人となって来られた、イエス様です。そのイエス様の十字架の救いの業によって、私たちは永遠のいのちを得ることができるのです。ここに神様の愛があります。

 神様の愛は無条件の愛です。私たちが神様を愛したから、その見返りに神様は私たちを愛するのではありません。神様は、何も条件を言われずに、私たちを愛してくださっています。私たちは、神様に人に気に入られるために、一生懸命になるかもしれませんが、神様は、逆に愛されるべき理由がない私たちに対しても、愛してくださいます。そして、私たちの罪のために、その罪を償う供え物として、ひとり子イエス様をこの世に送られました。それほど神様は、私たちを愛してくださっています。

神様がこれほどまでに私たちを愛してくださったことを知るからこそ、この神様の愛にとどまろうとして、イエス様に助けを求め、祈りながら互いに愛し合うことに挑戦するのです。

2 神様を見る

神は霊ですから、神を見ることはできません。けれども、私たちは神様が自分のうちにおられることを知っているのです。目に見えない神様ですが、隣人と互いに愛し合うことによって、神様が共におられることを感じることができるのです。

そして聖霊が働きます。神様は聖霊によって私たちに働きかけます。これを、証明することが困難です。しかし、私たちクリスチャンは聖霊が働かれていることを信じているのです。

私たちは、イエス様が救い主として遣わされたことを証しします。そして、そのあかしを受け入れ告白する人は、自分のうちに神様がおられるのです。その確信は、神の愛のうちにいることで、得られるのです。

3 完全な愛

私たちは、神様の愛によって、キリストにあって生きていく者とされました。ここに愛が完全なものとされています。ですから、さばきの日に、私たちは慌てることが無いのです。

自分は「神様にさばかれる」と恐れがあるとき、それは神様の愛の外にいるのです。私たちは、神様の愛を知り、その完全な愛に守られている事を実感するときに、その恐れは締め出されてしまいます。

神様がまず私たちを愛してくださり、その愛に私たちがとどまっている。それだから、私たちは兄弟姉妹を愛することができます。そしてヨハネはここで、こんなことを述べています。

「神様を愛する、愛すると言いながら、目に見える兄弟さえ愛せないなら、なぜ目に見えない神を愛していると言えようか」

兄弟姉妹を愛する事。これは、神様が私たちに下さる完全な愛より、易しいことです。わたしたちは、その易しい愛からはじめて、完全な愛に至ろうとイエス様に祈るのです。

ということは、「神を愛している」とよく言う私たちは、だれかを憎んでいたら、神様を愛しているとは言えません。

ヨハネは、兄弟姉妹を愛することが、イエス様の命令であることを言います。これは、イエス様ご自身が語った言葉です。

ヨハネ『13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』