マタイ1:1-25
系図
新約聖書を読み始めようとすると、この系図から始まり、困惑するのではないでしょうか?
最初から一生懸命に読もうとしても、名前ばかりで結びつきはわかりません。 しかし、マタイによる福音書の著者は、旧約聖書に精通した人であるために、イエス・キリストの出来事を逐一旧約聖書と対比させることで、旧約聖書の預言(神様から預かった言葉)がイエス様によって成就したことを強調します。
要点は、次の3つです。
1.系図
イスラエル民族は、族長社会なので、系図は、民族のアイデンテティ。
17節に14代が3つあり、偉大な預言者が一定周期で現れるとの示唆。
2.聖霊によって身ごもる
系図と言いながら、血は父ヨセフで、切れています。
3.預言
イザヤ『7:14 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。7:15 災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで/彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。7:16 その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。7:17 主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。』
(ご参考)
旧約の預言が成就したという考えで、マタイによる福音書は書かれています。その旧約の預言がイザヤ書の記載です。
「マリアが聖霊によって身ごもり、そして生まれた子が災いを避ける」との預言だったのです。
ユダヤ人が系図を重んじる理由
ユダヤの社会は男性社会です。特に日本の系図と似ていることは、男系の系図を大事にすること。そして、個人よりも家が重んじられ、家長制度をいかに維持するか、そしてその財産を家長に相続させようとするところです。家を維持することは、すなわち一族が存続することに直結していたのです。また、男系の家長を重んじるということは、戦争等が絶えなかったことを指しますし、家長の既得権がなければ、生き抜くことが難しかったという事も言えます。
そのような事情から、ユダヤでは誰それの息子等の名前で、その血の正当性を大事にしてきました。マタイによる福音書は、そのような文化の中、イエスキリストが預言通りの血筋から生まれたこと、そして預言通りベツレヘムで生まれたことを主張しています。これらは、マルコによる福音書には書かれていません。マルコが書かなかったこの記事をマタイは、意図して加えているわけです。その主張したいところは、「イエス様こそ旧約の時代から預言されていた救い主である」という事だと思います。
一四代?
マタイは、都合よく一四代と言っておりますが、これは編集上の工夫にすぎません。不思議な力によって十四代ごとに出来事が起こった事ではないのです。不思議な一致を演出しただけのものだと言えます。
① アブラハム-ダビデ アブラハムを初代とすると、ダビデは十四代
② ダビデ-エコンヤ エコンヤは二八代ですが、ダビデを初代とするとエコンヤは十五代
③ エコンヤ-イエスキリスト イエスキリストは四一代です。ダビデを初代とすると二八代
エコンヤを初代とすると十四代
ダビデ王からの血筋
聖書の記事から見ると、次の2か所に血筋の正統性について、注目が集まります。
① ルツ
レビラト婚でボアズと結婚したルツです。ルツの夫の血は子孫に流れていませんが、ボアズには、先祖の血が流れています。そういう意味では、血筋は持続しています。日本でも、分家から養子を入れるという方法で、家系とともに血筋を守ることが行われてきています。
② マリア
ヨセフの家がダビデ王の血筋ですが、マリアは聖霊によって身ごもりました。