ミカ書5:1-5

彼こそ、まさしく平和

 

  ベツレヘムにメシアが生まれるとの預言は、この聖書の箇所から来ています。また、ベツレヘムは、ルツ記の舞台となっていて、そのルツとボアズの子(ナオミの孫)がオベド。つまりルツの曾孫がダビデです。

ルツ『4:17 近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。』

 また、イスラエルの祖であるヤコブの妻ラケルがベニヤミンを生んで死んだ(創35:16-19)場所がエフラタの地で、今もベツレヘムの街の入り口にラケル廟があります。なお、エフラタ(実りある)はユダ族の街ベツレヘムの古い呼び名で、イスラエルの幾つかの町はエフラタと呼ばれています。また、女性の名前として使われます。ゼブルン族にもベツレヘム(パンの家)があり、その区別が必要だったようです。

1.小さき者

 神様は、時々小さき者を選ばれました。兄エサウではなく弟ヤコブ、姉レアではなく妹ラケル。サウル王は、最も末のベニヤミン族。ダビデ王も末の弟。このエフラタのベツレヘム(パンの家)も小さい街です。ユダ族のなかでも末席となる者からイスラエルを治める者(=メシア)が出るという預言です。そのメシアは永遠の昔からおられた方ですから、天地創造の前からおられたということになります。

 メシアと彼の王国の預言が追加されます。メシアの王国は、メシアのゆえに幸せでなければなりません。イスラエルは安全で安心でなければなりません。アッシリア人からの支配の下で、すべての信者への保護の約束です。メシアはわたしたちの平安であり、罪を贖い、神様とわたしたちの和解を行います。そして、メシアは私たちの敵を征服し、私たちの平和の王となります。しかし、それはメシアが生まれるまで待たなければなりません。メシアが生まれるときには、うしなわれたイスラエルのほかの部族は、戻ってくるでしょう。

 

2.群れを養う

 羊の群れを羊飼いが養うように、メシアは私たちに食事や水を与え、そして外敵から守ってくださいます。そのために、いつも私たちの近くで見守り、そして必要な助けをしてくださるのです。メシアはヤハウェの力をもって、神様であるヤハウェの威厳をもって、私たち群れのお世話をします。ですから、私たち信仰をもつものは、いつも安らかです。メシアはこの世の王としてこの世を治め、そしてその力は地上のどこにでも働くからです。

 

3.アッシリアからの救い

 当時の課題は、アッシリアでした。すでに北イスラエル王国は滅びてしまっています。そして、ユダ王国も何度かアッシリアから襲われています。創世記によるとノアの子ハム、ハムの子クシュ、クシュの子ニムロドですから、アッシリアはハムの子孫のようです。エチオピア人、クシュ人、カナン人などが ハムの子孫とされますから、周辺のアブラハム以外を祖先とする国がすべて、ニムロドの国に入るようです。アッシリアの国がエルサレムの街を攻撃してきていましたが、ユダ王国は城壁の内側にこもったまま、なすすべを知りませんでした。エルサレムを除いた塔の街がすべてアッシリアに取られてしまったのです。その時の王の一人ヒゼキヤ王は宝物を送ることで、難を避けている状態でした。7人の羊飼いと、8人の王を立てるということは、7という完全数そして完全数にひとつ多い数、つまり、

「国を安全にするには十分な 宗教的指導者と 統治者をおく」

と言うことに読めます。メシアが来ると、現実的にアッシリアに立ち向かい、アッシリアから責められる恐怖はなくなることを預言しているのです。地上全てをメシアが支配すれば戦いはなくなります。しかし、その前にアッシリアからの恐怖を振り払うために、まず戦いがあるのです。

 抜き身の剣をもってということは、鞘に納めないままの剣ですから、いつでも戦える状態でという意味だと思われます。そして、ニムロドの人々を牧するというわけですから、ユダの国に入り込まないように、常に臨戦態勢が必要と思っていたのでしょう。そして、アッシリアからの恐怖から救ってくれる希望を預言しています。