出エジプト1:15-2:10
抵抗の知恵・守られる命
1.男子殺害の命令
ユダの国で2000年前、ヘロデ大王が、マタイ2:16『二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた』出来事があります。
古代では、権力者は無茶な命令を出し、権力者の手下も そのまま執行しました。そういう 「命がけ」の社会だったと言えます。ですからエジプトで助産婦をしていたシフラとプアにしても、王の命令に従わないのであれば、命が無いということだったと思われます。しかし、そこには、神様への畏れと、神様の知恵があってうまくやりすごすことが出来ました。しかし、それはファラオに対して、言い逃れが出来ただけで、根本的には何も解決しません。ファラオは、すぐに次の手を打ってきました。
ファラオは全国民に命令します。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。』 これで、助産婦の知恵によるささやかな抵抗も意味がなくなりました。
2.モーセの生い立ち
レビ人は、後に司祭を務める家系になります。最初の司祭はモーセの兄アロン。そしてアロンの子孫が司祭の家柄と言うことになります。ですから、アロンは異母兄弟なのでしょうか? モーセの母親にとって最初にできた男の子がモーセなのですが、この場面にはモーセの姉まで登場しています。
モーセの母親は3か月男の子を隠し続けましたが、隠しきれなくなりました。隠しきれないということは、隠すと家族への災いが迫っていたということでしょう。また、ナイル川に流すにしても、「生き延びられる様」モーセの姉が策を練ったのかもしれません。そもそも、ファラオの王女に簡単に近づけることを考えると、姉はファラオの王女に仕えていたと考えるのが自然です。そして、モーセは実の母親を乳母として育つというわけです。
その子が大きくなると、モーセと名前を付けられます。
3.この物語の不可解な点
男だけで60万人。エジプトを脱出したときの人数から考えると、助産婦二人で間に合うのだろうか?
平均寿命を60歳とすると、男の子が年間1万人、つまり2万人が生まれるわけで、55人/日にもなります。言い方を変えると、60万人が脱出したのではなく6千人くらいだったのかもしれません。70人のヤコブの子どもから、300年たったとして10世代。世代で1.2倍になったとして、437人 やはり、この人数は誇張があるのかも知れません。
アロンはモーセの三歳年上です。ファラオは、どのくらい「男の子をナイル川に流す」ということを続けていたのでしょう?アロンの時は無かったのでしょうか? そして、いつ それを止めたのでしょうか?
モーセが成長したとき、奴隷として働いていた主力は年寄りだったのでしょうか? そんなわけはありませんね。だから3年位でやめたと考えられます。また、男の子を殺したところで、生まれる人の数が減るわけでもありません。ただの政治的牽制で男の子を殺させたのでなければ、ヘブライ人を減らすことにはつながらない愚かな政策です。エジプトを治めているファラオの周辺の人々がこのような施策を真剣に提案するとは思えません。つまり、政治的な牽制だったと考えるのが妥当でしょう。
4.神の計画
ファラオの王女が、ファラオと対立する者を救うという物語の中に、神様の計画が人知を超えたところで進められているとの 壮大な構図が感じられます。出エジプト記が書かれたのは、バビロン捕囚後にエズラが再建した神殿の前でモーセ5書を読んだ聖書の記事から、BC444年以前になります。過ぎ越しの祭りや仮庵の祭りが古くからあって、その起源を含めてモーセ5書を編纂したわけです。エジプトの力の脱出と、今許されてるバビロン捕囚からの帰還とが、多くの部分で重なったのだと考えられます。壮大な神様の計画によって導かれている。そして、様々な奇蹟やしるしがそこにあったのだ。そういう、ユダヤの民が体験したばかりの脱出物語を象徴して、出エジプト記は編集されたと考えてよいでしょう。