使徒18:1-11

コリントでの伝道(2)

   コリントでのパウロは、2回目の学びになります。背景にあることは前回解説しましたので、今回は聖書に書かれている内容を解説します。

ポントス州:黒海の南東部地方(現トルコ) パウロの出身地であるタルソの町(トルコの地中海側の東端)同様、帆布産業が盛ん。帆布は、航海用、テント用などに適した山羊の毛で作られました。 

1.アキラとプリスキラ

 パウロは、「テント造り」と書いていますが、実際は帆布職人だったようです。どの町に行っても、宣教の報酬を受け取らなかったパウロは、帆布を製造販売して生計を立てていたと言う事なので、経済的には安定していたと思われます。町では、市場での交易が盛んでしたので、同業者であるパウロ、アキラとプリスキラが出会うことは必然的だったのでしょう。アキラとプリスキラは、クラウディウス帝がイタリアからユダヤ人を追放したのでコリントに来ていて、パウロはテサロニケを追われ、アテネでは伝道を失敗し、第三の都市コリントに来ていました。コリントは、アドリア海とエーゲ海を分けているペロポネソス半島の付け根にあります。この半島を船で回るのに何日かかかる事と、この半島の南側は荒海の難所なので、いったん荷物を陸揚げし、陸送後再度船積みをするという交易の要所でした。半島の付け根は大変細いので、陸送と言ってもほぼ積み替えに近い作業で済むのがコリント港&コリント東港の良いところです。パウロは、アキラとプリスキラの家で一緒に仕事をしながら、伝道をし始めたのです。安息日にシナゴーグでユダヤの神様を礼拝しに来ているユダヤ人とギリシャ人に対して、伝道しますが、この時は成果はなかったようです。

2.恐れるな、語り続けよ

 マケドニア(ベレア)で一時分かれた、シラスとテモテが、ようやくコリントにやってきます。すると、パウロは伝道に専念します。つまり、仕事を休んですっかりアキラとプリスキラのお世話になったのだと思われます。ここで注目しなければならないのは、パウロはユダヤ人に対してイエス様のことを証したと言う事です。ギリシャ人を伝道の対象としなかったのは、アテネでの伝道の大失敗で、自信を無くしていたからかもしれません。しかし、ユダヤ人には受け入れられませんでした。テサロニケでもユダヤ人が反発し、騒動が起こったように、このコリントでもイエス様の証が受け入れられないばかりか、反抗してきました。またパウロは口汚くののしられました。そこで、パウロは「服の塵」を振り払いました。

塵を払う:敬虔なユダヤ人は、異邦人の町を去るとき、異邦人の習慣から、自分を切り離すことを示すために足からちりを払い落しました。弟子たちのちりを払い落とす行為は、メシヤを拒絶したユダヤ人から自分を切り離すことを示します。つまり、この身振りは「あなたたちの選択は誤っている。キリストを選ぶ機会は二度と来ないかもしれない。」と言うことなのです。


パウロは、服の塵(足である必要はない)を払ってこのように言います。

「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」

パウロは、コリントの地でも、マケドニア州とおなじようにユダヤ人の反発を受けて、ユダヤ人への伝道をあきらめ、異邦人(ギリシャ人)への伝道に方針転換をしたのでした。

 パウロは、アキラとプリスキラの家を後にして、ギリシャ人の家に移りました。そのギリシャ人は、シナゴーグの隣に住む、神をあがめる人です。

神をあがめる人:ユダヤ教徒にはなっていませんが、ユダヤの神を信じ、礼拝を共にする者です。ユダヤ人と区別する理由は、人種的な違いではなく、ユダヤの伝統的習慣を守る意思がないからです。

 ですから、パウロはさっそくこの神をあがめる人に伝道したと言う事です。会堂長のクリスポ(Κρίσπος)もイエス様を信じるようになります。

(クリスポはユダヤ人だそうです。パウロは、コリントで最初に彼にバプテスマを授けました。Ⅰコリ1:14) 

 また、多くの人もパウロの言葉を信じてバプテスマを受けました。

(パウロは、2人だけ自らバプテスマを授けましたが、それ以降はシラスとテモテに託しています。)

 結果として、パウロはユダヤ人にもギリシャ人にもイエス様の福音を伝道したことになります。こうして、コリントにはユダヤ人のクリスチャンとギリシャ人のクリスチャンが生まれていったのです。幸いなことに、マケドニアで起こったような暴動は起こりませんでした。しかし、ユダヤ人の一部の人々は相変わらず、パウロを受け入れずに、反抗し、ののしったものと思われます。パウロは、ユダヤ人への伝道に躊躇していたのかもしれません。

『18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。』

 イエス様は、幻の中でパウロを励ましました。マケドニア州でパウロが経験したようには、このコリントで襲われるようなことはないとイエス様は宣言しました。すでに、ギリシャ人を中心にイエス様を信じる仲間が大勢になったのです。ですから、もうユダヤ人に伝道しても、暴動までは起こらないことをイエス様は予告します。ですからこういいます。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。18:10 わたしがあなたと共にいる。」

 こうして、パウロはイエス様に守られて、1年6か月もの間コリントで伝道をしました。実際、コリントだけではなく、アカイヤ州(ペロポネソス半島の全部)各地に教会が建てられました。