使徒5:1-16

示されたしるし

   ペトロは、エルサレムの教会の中心人物でした。ペンテコステの出来事の後、ペトロをはじめとしたイエス様の弟子は、神殿のソロモンの回廊で宣教や癒しをしていたようです。また、120人もの弟子たち(使徒1:15)が、共同生活をしていましたので、そのために志のあるものは財産を捧げてこの群れを支えていました。使徒4:36-37には、バルナバが土地を売って、その代金を使徒の足元に置いた記事があります。

この記事は、ごく初期のエルサレム教会の様子です。しばらくするとエルサレム教会の中心は主の兄弟ヤコブに代わりますし、使徒言行録でも15章を最後にペトロは出てきません。その後の主役はパウロになります。また、エルサレム教会の財産の共有という運営方法は早くから破綻し、結果エルサレム教会は困窮していたようです。

 

1.「ごまかし」とペトロの対応

 アナニアとサフィラの行いは、献金と言う意味では評価できます。しかし、二人は全ての代価を献金したと言って、ごまかしました。もともと、本人たちの財産ですから盗んだのでも、だまし取ったのでもありません。しかし、ペトロはこの二人を許しませんでした。

 

 この物語を読むと、何かすっきりしないものがあると思います。色々、疑問がありますので、聖書的視点(〇)と人間的視点(●)で疑問への答えを書いてみました。

 

① ペトロは、どうやってこの夫婦のごまかしに気づいたのか?

 〇聖霊によって知らされた。

 ●もともと、この程度のごまかしは誰もがしていた。ペトロは、それを聞いていた。

② この夫妻が倒れたのは、誰の力によるものか?

 〇聖霊が働かれた。

●ペトロが強権を行使し、出入り禁止などの処分をした。

③ この夫婦の行為は死に値するのか?

 〇イエス様の言葉:ルカ『12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。』

 ●犯罪でも、被害でもないが、不公平感を考えると、再発防止のための見せしめが必要。

 

疑問に対する回答案を2つずつ挙げてみました。ペトロ個人についてネガティブな考えがない限り、(〇)が採用されると思われます。気になるのは、この記事の突出した指導であったり、「天国の鍵を授ける」(マタイ16:19)と言う記事であったりと、ペトロの権威が強調され過ぎているようにも見受けられることです。

(一説によると、このような状況の中、原点回帰を目指してマルコによる福音書が書かれたそうです。キリスト教の多様化は、もうこの始まりの時からあったのでしょう。)

 

2.奇跡を行う

 使徒たちは、神殿(ソロモンの回廊は神殿の敷地を囲っている)で、奇跡の業を行っていました。ペトロとヨハネが一度祭司長たちに訴えられたとき、使徒『4:18 そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。』という経緯があります。さすがに、神殿ではイエス様の名で語るのではなく、奇跡の業だけを行ったようです。そういう意味で、弟子たちは監視されていたのでしょう。そのためでしょうか、弟子たちの群れに新たに加わる人はいなかったようですが、多くの民衆が集まって、癒して欲しい人を連れて来ていました。そして、いやされるたびに、弟子たちを称賛しました。

 こうなると、祭司長たちはいよいよイエス様の弟子たちの人気を見て、嫉むことになります。また、捕まえようにも、イエス様の名によって語ることを禁止して決着しているので、それに違反したところを捕まえない限り、まともな方法ではどうすることもできません。とうとう、弟子たちを捕まえることを考えだします。