マタイ16:13-28

自分の十字架を背負って 

ペトロ 左手に天国の鍵を持っています。

当時のユダヤ地方(googleより)

1.ペトロ信仰を表す

 フィリポ・カイサリア(Caesarea Philippi)は、ゴラン(Gaulanitis)の街です。ペトロは、同じゴランのベッサイダで生まれています。シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。(バルヨナとは、ペトロの父がヨナなので、「ヨナの子」が本名だったのです。)

ペトロとの呼び名は、この時イエス様につけられます。岩(Πέτρος)という意味です。ペトロの上にイエス様の教会が建てられるのです。イエス様は、ここで天国の鍵をペトロに授けると言います。(マタイのみの記述)

そして、イエス様は「メシア」であることを口外しないように、弟子たちに命じます。(よくあることですが、このような命令は、効果がありません)

 

2.イエス、死と復活を予告する

16:21 を見ると、このときから、イエス様は十字架のできごとと、復活を弟子たちに打ち明け始めらました。

 まだ、充分に育っていない弟子たちです。イエス様が地上からいなくなる時のために、どのように備えるべきかを弟子たちに考えてもらう必要があるからです。弟子たちは、イエス様を「神の子」だと告白したのですから、イエス様は「神の子」として、これから起こることをお話になったわけです。弟子たちは、イエス様が「神の子」であることに期待していました。現実のこの世界でイエス様が、王様として君臨することを考えていたのです。ところが、イエス様が話される将来は、まったく違っていました。イエス様は、殺され、三日後に復活すると言うのです。復活の前の、「殺されて」のところで、もう弟子たちは冷静に話を聞くことができませんでした。そして、イエス様を諫(いさ)めはじめるのです。それは、人の思いそのものです。イエス様と一緒にいることで、「神の子」の栄光を得たいとの「人の思い」が、そうさせたのです。こういうときの貪欲さ、理性も心をも失わせてしまいます。「都合のいい事しか聞こえない」でしょうし、「都合の悪いことは、握りつぶす」と言うことになります。ペトロが真っ先にそういう行動をとりました。たったさっき、イエス様のことを「神の子」と告白したばかりなのに、ペトロはイエス様の言葉を打ち消そうとしたのです。この瞬間、「人の思い」が、信仰を押さえつけて出てきてしまったのです。イエス様は、その人の思いに呼びかけます。

16:23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」』

16:24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。』

弟子たちに向かって、イエス様は「自分を捨てて十字架を背負って、私に従いなさい」と言われました。イエス様に従っていくことは、自分を捨てる事。そして、自分の十字架を背負うことです。自分の肉の思いを捨てて、そしてイエス様から与えられた役割を担いなさい。そのようにイエス様は言われたのです。

自分の命を守ろうとする人は、その守ろうとした命を失います。しかし、イエス様のために命を失うものは、かえってイエス様のために命を得るのです。

(『16:25 For whosoever will save his life shall lose it: and whosoever will lose his life for my sake shall find it.(KJV:欽定訳聖書 king james version) 

 参考のため英語を記載しました。ここで、life:原語ψυχήの意味は、息、魂、命、命の様に必要不可欠なもの。 注:ギリシャ語の原文にitはありません。

新共同訳では命と訳されていますが、霊的な意味や信仰的な意味で「命」を理解してください。

16:28 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」』

神の子が再臨するまで、「この弟子たちの中に複数の死なない人」がいるとまで、イエス様は、言われました。これで明らかに、命を得るとは、肉体が死なないことを指しているのではなく、永遠の魂を得られ、霊的に救われることを指しているのです。