ルカ11:24-36

 見てない人々

 

1.ファリサイ派の人々の悪霊追い出し

 イエス様は、ご自身のことを受け入れないファリサイ派の人々人が、悪霊追い出しをしたら、どうなるかを説明します。簡単に言うと、「行き場所が無いから戻ってくる」また、「戻れない場合はもっと強い仲間を連れて戻ってくる」。だから、悪霊を追い出したつもりだったのが、以前よりひどくなるわけです。それを防げるのは、イエス様を受け入れた人々だけなのです。


2.イエス様の母

 イエス様がこれらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエス様に言った。『なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。』

 この女は、一見、イエス様を尊敬しているように見えますが、実際はその逆です。信仰のお話をイエス様はしていたのですが、この女は血のつながりと育ての親であることを尊敬の対象としているからです。決してイエス様の母の信仰を見て、尊敬したわけではないのです。もちろん、この女はイエス様の話を聞きに来たのでしょう。しかし、彼女は、有名な先生が来ていることだけを受け止めて、イエス様の言葉に動かされてはいなかったのです。そこで、イエス様は、み言葉を聞いてそれを守る者が幸いだと言いました。神様のみ言葉によって信仰を持つことによって、私たちは肉親以上に神様や信者同志を、父や兄弟と呼ぶことのできるような、深い交わりができるのです。


3.しるし

 次にイエスは、天からのしるしを求めた人々に対して語られます。これは、悪霊を追い出したイエス様のしるしを見ていながら、『11:16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。』ことに対するイエス様の答えです。


①ヨナのしるし


 今の時代とは、預言者が預言したキリストが実際に来ている、しるしが示されている特別な時代です。そして、イエス様は、ご自分がキリストであることを示す数多くのしるしを行いました。ですから、彼らは、信じないほうがおかしいような状況にいたのです。それなのに、彼らは天からのしるしをほしいと言いました。意地でも、無視していたのです。「しるしを見ていないから、信じられるか?」と言っているわけです。そこで、イエス様は、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」と言いました。ヨナが魚の中に3日3晩いて、魚から出てきたように、イエスは、墓に葬られてから3日目に、よみがえられます。死者からの復活、これが最大のしるしです。

 南(シバ)の女王が、このしるしを求める者のさばきのときに、彼らを罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞いて、悔い改めたからです。また、ニネべの町の人々も、しるしを求める者を罪に定めます。ニネべの町の人々は、ヨナの働きによって悔い改めたからです。南の女王も、ニネべの町の人々も神様のしるしを見て、それを受け入れました。これらのしるし以上の奇跡を何度も見ているイエス様の時代の人々(特にファリサイ人と律法学者)は、いまだにしるしを見ようとせず、その罪は深いのです。罪とは、神様の意志に背くことですから、神様から来たしるしを見て信じない事は、重大な罪と言えます。

 ニネベの人々は、神様のことをあまり知りませんでした。ヨナの説教は、「あと40日で、この町は滅びる!」という、救いも希望もないおどしのような説教でした。それなのに、彼ら町中の人々が悔い改めて、神様の赦しを求めたのです。南の女王もニネベの人々も、異邦人です。異邦人がユダヤ人を罪に定めるとイエス様が言いました。信仰は、特権や地位ではなくて、中身が問題です。また、神様の前には、みな平等であり、神様は、示されたしるしによって人々が神様に立ち返ることを望まれているのです。

②暗やみ

 次にイエス様は、ご自身のことを光にたとえます。だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。普通は、燭台等の高いところに置きます。遮る物がない高い場所からの光は、はいって来る人々の目を照らします。目だけが灯りを感じます。だから、からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいですが、目が悪いとからだに灯りがなくなります。

 『だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。』

 あなたの見ているものに、よく注意しなさい、とのイエス様の教えです。自分が目を開けて見ようとしているのか、目が患っていないかを吟味して見ようとしないならば、見る努力が必要です。もし、目を患っていれば、治療するか、第三者の目で見た事実を教えてもらうかをすればよいでしょう。私たちがどのようにイエス様のみ言葉を聞こうとしているかによって、信仰は増し加えられます。

 正しくイエス様を見るならば、自分のうちに光が与えられるだけでなく、他の人々をも照らします。