コリントの信徒への手紙一15:1-11

復活の証

聖書研究

1.パウロの危機感

 パウロはまず、1~2節で、危機感をもって語っています。

『15:1 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。15:2 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。』

 パウロは、だいぶ熱くなっている様子がうかがわれますが、このように語るということは、

①パウロの福音を再確認してもらう必要があった

②兄弟たちが、受け入れ、生活のよりどころとなっているだけでは足りない

③パウロの告げ知らせた福音を覚えていれば救われる

④覚えていなければ、信じたこと自体が無駄になる      と、パウロは感じていた事になります。

 福音を告げられ、信じ、福音に基づいて生活をしているのに、何が不足しているというのでしょうか?やはり14章までの指導があったように、グループに分かれて分断していること、礼拝の持ち方、そして主の晩餐の持ち方に現れてきていた問題であったと思われます。かたち上は、パウロの語った福音を語る教会でありながら、実態は教会や礼拝の秩序を乱している。それは、福音を語っていながら、その核心部分をないがしろにしているのではないか?との疑問に結びつきます。つまり、コリントの教会のありさまは、福音によって救われた人々のやることには、見えなかった・・・と言うことだと思います。それは、「人ですからやむを得ないと言えば」それまでです。しかし、自己中心的であったコリントの人々が、キリストとつながって変わる兆しがないのです。どこか、根幹の所が福音から抜けて伝わっているとしか、パウロには見えなかったのかもしれません。

2.パウロの信仰告白

 『15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。』

 パウロは信仰告白をしています。その核心にあるのが、「書かれてあるとおりに」、すなわち、旧約聖書が預言したとおりに、キリストは私たちの罪のために死んでくださった、ということです。書かれてあるとおりに、この方は墓に葬られましたが、三日目に死人のうちよりよみがえりました。

 古くからあるこの信仰告白の短い文章は、キリストの地上でのみわざが成就したことを語っています。キリストは苦しまれ、死なれ、墓に葬られました。そして、死者の中から復活なさいました。キリストの復活は、「こうだったらよいな」というような儚い希望などではありません。使徒たちは復活された主を目の当たりにしました。教会の信仰もまた、淡い望みなどではなく、堅い基底の上に据えられています。「キリストは活きておられる」という使徒たちの証言があるからです。

最も大事な事は、次の二つです。

①キリストが、わたしたちの罪のために死んだこと

②キリストが、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと

 これがどれほど重大な問題か? イエス様の受難と復活は福音の核心にかかわることがらなのです。この福音をパウロは他の人々から伝承として受け継ぎ、そして、その同じ伝承をコリントの教会に伝えました。ですから、コリントの信徒たちもその伝承を変更することなく、しっかり守っていくべきなのです。ところが、福音と言いながら、「①で罪が贖われたのだから、救われた。」という教えは、福音の一部です。これが基本であるのは揺るぎもありませんが、イエス様が復活した後のイエス様の教え、行動は私たちに何をもたらしているのかが、すっぽり抜け落ちています。コリントの教会で起こっていたことは、正にその部分の欠落がもたらしたのだと思われます。それは、イエス様の教えたように生き、そしてイエス様の命令したように伝道して、世界中の人にバプテスマを授けることです。そこまでの範囲が福音であります。コリントでは、残念ながらこれがなされていなかったわけです。と言うよりも、全世界の教会で為されるところはあるのか疑問です。しかし、イエス様の命令に従おうとすることは出来ます。

3.復活の証言者たち

 『15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。』

 パウロは、イエス様が死なれた後誰に御自身をあらわしたか、について語っています。イエス様の復活の証言者たちを記したこのリストは、現在知られている最古のものであります。そのテキストが書かれたのは、福音書よりもさらに何十年も前に遡るものと推定されています。もっとも、パウロはカリスマ的な経験や、それを立証するために「しるし」について語っているのではありません。この証言者のリストは明確に限定者リストです。復活したイエス様と出会った者。それは、使徒の資格を示しています。パウロは、「しるし」はもはやあらわれなくなった、つまり彼自身が「月足らずで生まれた者として」として、最後の使徒の資格を持っている者であるわけです。

 このリストは(全証言者をもれなく含む)完全なものではありません。少なくともリストからは、福音書が記している女性たちのことが欠けています。ここでは「使徒たちの証言のもつ権威」を示したのだと思われます。それに対し私たちにとっては、福音書の記している女性たちによる証言も重要です。