創世記3:1-24

エデンの園、追放


1.蛇の誘惑

 この物語の中で、神の言葉への不信を引き出しに登場したのが、蛇でした。蛇もまた神によって造られ、腹で這う不気味さを古代人もきらいました。一方で、古代エジプトやメソポタミヤでは蛇が知恵の象徴でした。

 「蛇」が女に「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と問いかけます。

神は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と命令していました。つまり、神は「すべての木の中の一つだけ」を禁止されたのです。しかし、蛇が神の禁止の範囲を、ことさらに拡大してみせました。女に不満を抱かせるためです。 

 それに対して女は、神の言葉を正しく把握していながら、「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」と言います。「触てもいけない」を付け加えたのです。女は神の言葉を守ろうとするあまり、神の言葉に自分の言葉を付け加えています。神の命じた禁止をよりきびしいものとして、女自身が縛りをいれて、それが不満を導いたのです。


 さらに蛇は言います。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。蛇はまるで神が事実を隠しているように言います。人のために配慮して神が禁止したのに、女が神の善意を疑うように唆したのです。死ぬことはない。そして、それを食べると神のように善悪を知るものとなると・・・。

 「善悪を知る」とは、全知全能の神になるということです。蛇は、神が禁止命令で人を束縛し、不自由にするとの疑いをかけさせたのです。神に従って生きるのではなく、自由になって、自分の思いに従って生きようと女はそのとき思ったのでしょうか?。ここに女の神様に対する背きがあります。人が神から自由になって「神のように」なりたいと思う傲慢に、聖書は人間の罪の根を見ます。罪の本質は、神に背を向け、神に従わないことではなく、自分が主人になり、神に成り代わろうとすることです。

2.誘惑に敗れる

 「女がその木を見ると、いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していました。」女が誘惑に敗れたのは、「おいしそう」「目を引き付け」「賢くなる」は、人間の欲望をそそります。女はついに取って食べ、一緒にいた夫に渡したので、彼も食べました。

  その結果、「目が開け」自分たちが裸であることに気づきました。園では、「2:25人と女は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」のにです。だから、大事な何かが失われたのです。人間のあるがままの姿を素直にあらわすことが出来なくなったのです。裸であることに気づいて、その恥と不安を少しでも隠そうとして、二人はイチジクの葉を腰に巻きました。禁止された木の実を食べるという違反行為は、「神の善意を疑う」ことに始まり、誘惑に負けた結果でした。

 「3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」」

 神の命令に背いたので、アダムと女は、神の前に立てないのです。神はアダムにどこにいるのかと呼ばれました。罪を犯し、神様の顔を避けて身を隠す人間に、「あなたはどこにいるのか」と神はこう呼びかけます。

 アダムは答えます。

「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」と。

「裸」も「恐れ」も、「隠れた」のも本当の理由ではありません。神の命令を破ったからです。しかし、その真実を告白して、赦しを乞うことはなかったのです。

 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問いました。すると、アダムは、神の問いの半分を無視して、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と応えます。 自分の罪を認めず、木の実をとって渡した女と女を創造した神に自分の責任(園を管理、神の禁止を守る)を転嫁しています。

  神は女に向かって、「何ということをしたのか」と言いました。女は「蛇がだましたので、食べてしまいました」と答えます。女は蛇のせいにしたのです。女をだました蛇を園に置いているのが悪いとでも言いたいのでしょう。神の禁止を守ることは二人の連帯責任であったはずなのに、人は女に罪を着せ、女は蛇のせいにしました。そして、間接的に神を批判しているわけです。今まで、信頼で結ばれていた夫婦が、不毛な言い訳だけのために、女を切り捨ててしまいます。女も蛇を売りました。

  アダムとエバの二人は罰せられ、エデンの園から追放されたのです。神への背きの罪のために。人は命の源である神に背いた結果、死すべきものとなりました。