ルカ19:28-40

 主がお入り用なのです

点線が主要な街道です。ベトファゲはベタニヤよりエルサレムに近く、、エルサレムに入る前の最後の町です。

 1.主がお入り用なのです 

 イエス様は、ガリラヤからエルサレムに上っていました。十字架の死を遂げるための最後の旅です。オリーブ畑と呼ばれる山のそばのベトファゲに近づきました。(地図上の点線が当時の主要街道です)そこで、イエス様は二人の弟子を使いに出します。誰の持ち物であるかもわからない「子ろば」を繋いでいる紐をほどいて引いてくるという役割を与えました。一般的にこれは、窃盗とか、横領にあたりますが、「主がお入り用なのです」と言えば、引いていくことを許されると、イエス様はあらかじめ指示しました。

 疑問が二つあると思います。なぜ、子ろばを引いていくことが許されたのか?です。また、もう一つはなぜ、旅の終わりの段階にろばが必要なのかです。これは、旧約聖書の預言に基づいています。

ゼカリヤ書『9:9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。』(シオンとはエルサレムの別名です)

この預言は、エルサレムに王が子ろばに乗ってやってくる ことを示しています。バビロン捕囚によってエルサレムが完全に破壊され、ユダの国の民はバビロンに連れ去られました。その70年後、ペルシャの支配下でユダの人々は国に帰還が許されますが、国の再建はできませんでした。そうしている時期に書かれた預言は、国が再び立ち上がると言うものでした。世界史を思い出すと、ペルシャはアレキサンダー大王に敗れ、マケドニアは4国に分裂します。そのセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトに挟まれ、ユダの国は再建どころか、滅亡の危機にさらされ続けました。そこで、遠くの国ローマと同盟を組んで対抗しようとしたのです。結果的に、ローマはすべてを支配してしまいました。そしてローマのエジプトへの侵攻を助けたのが、イドマヤ(ユダの属国)人のローマ兵であったヘロデ大王です。ヘロデ大王は、ローマに媚びを売って、ユダの王となったのです。この人は、正当な王家の血筋でもなく、戦乱の中で代々活躍したマカバイ家(ハスモン王朝)の出でもありません。そう言う意味で人々は、「王がやってきて、搾取だけをしてユダの国に何ももたらしてくれないローマを追い出す」ことを強く望んでいたのです。

 ここで、重要なのは、預言が成就することをベトファゲの会ったこともない人と共有できていたと言うことです。そして、預言通りにイエス様はエルサレムに向けて子ろばに乗って行きました。服を敷くというのは、服従のしるしです。ろばの背に服を敷いた二人の弟子、そしてイエス様の進む道に服を敷いた人々は、イエス様に従いますとの表明をしていたわけです。こうして、人々と一緒にイエス様一行はエルサレムに上りました。その同行する人々は、いよいよ、ユダの王にイエス様がなるとの確信を持つわけです。

2.賛美する弟子たち

 オリーブ山は、ほぼエルサレムの城壁の隣と言えます。そこで、弟子たちは賛美しますが、ファリサイ派の人々は、「叱ってください」とイエス様に言って来ます。なぜ、賛美をすることにファリサイ派の人々はいやがったのでしょうか? ファリサイ派の人々は熱心なユダヤ教徒なはずなのに・・・

ファリサイ派: ハスモン王朝時代に形成されたユダヤ教の一派。イエス時代にはサドカイ派と並んで民衆に大きな影響力を持っていた。律法学者は多くファリサイ派に属していたと思われ,しばしば並んで記されている(マタ 23:2など)。律法を守ること,特に安息日や断食,施しを行うことや宗教的な清めを強調した。(新共同訳聖書の解説より)

 福音書は、政治家であり、教師でもあるファリサイ派と敵対しています。なぜならば、形式的な事を重視するあまり、人々に寄り添った政策や生活指導をしていなかったからです。むしろ、その律法の番人である権威を使って人々を支配することに熱心であったともいえます。ですから、気に食わなければ、律法のどこかを探し出して、それを根拠に人々を従わせて来たわけです。ハバクク書には、そのことおよび、その後のことが預言されています。(預言されていると思われるエルサレムの神殿崩壊は、AD70年)

ハバクク『2:9 災いだ、自分の家に災いを招くまで/不当な利益をむさぼり/災いの手から逃れるために/高い所に巣を構える者よ。2:10 お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀り/多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけた。2:11 まことに石は石垣から叫び/梁は建物からそれに答えている。』

 「高いところに巣を構える者」とは、ファリサイ派の人々のことです。この国のリーダであるファリサイ派の人々は、神の国に災いをもたらしました。神殿からの利益をむさぼっていながら、災いに直接あわないために、高いところから恥ずかしいことを謀っています。そうして、多くの人々の信仰を遠ざけ、そして自分自身の信仰も滅びようとしているのです。ですから、その神殿の石垣の石は、そのファリサイ派の人々の行いを訴えて、叫びだしてしまいます。また、建物の梁は、その叫びに答えています。

 国の中核であるファリサイ派の人々は、神様の王国つくりに励まなければならないのに、むしろ神様の意図や人々の心に反して、「賛美をやめなさい」と主張する・・・これでは、あちこちから叫びが起きます。